内高松村(読み)うちたかまつむら

日本歴史地名大系 「内高松村」の解説

内高松村
うちたかまつむら

[現在地名]高松町内高松

高松村の東、砂丘を背にし、かつて内高松不湖であった低地に面して位置する。

〔中世〕

金津かなつ庄の内。延徳三年(一四九一)九月に固定化したものを再編した天文五年(一五三六)一二月の金津庄内高松村名別公事銭等納帳(賀茂別雷神社文書、以下同文書は省略)によれば、千代丸・宗頼・諸介・重永・弥房・三南の六名からなる。このうち三南名は「三番入、千代丸算用ニ入、藤内是も同」「千代丸持」とあって、当地の名主千代丸が請負っている。また宗頼名には「鉄輪・火筋・弦之代五百文」、千代丸名や諸介名には「炭・柿・畳・千莚」が計上されており、副業的な手工業も発達しつつあったことがうかがえる。享禄(一五二八―三二)頃と推定される金津庄村々納銭注文案では、公用銭六五貫二五七文のうち三貫八二四文が「内高松村納」である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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