日本歴史地名大系 「金津庄」の解説
金津庄
かなつのしよう
現
〔境界相論〕
正安二年の関東下知状は、当庄雑掌祐豪と南接する示河」が境界と反論している。幕府は名称は不明だが絵図上の河は一本であり、河以西の吉次から小白山神田公文在家は当庄に付し、境不明の大宮神田から大矢阿弥陀堂講田は重ねて尋究するとした。「阿里河」は現宇ノ気町の鉢伏と
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現
正安二年の関東下知状は、当庄雑掌祐豪と南接する示河」が境界と反論している。幕府は名称は不明だが絵図上の河は一本であり、河以西の吉次から小白山神田公文在家は当庄に付し、境不明の大宮神田から大矢阿弥陀堂講田は重ねて尋究するとした。「阿里河」は現宇ノ気町の鉢伏と
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