日本歴史地名大系 「高松町」の解説 高松町たかまつまち 石川県:河北郡高松町面積:二六・四〇平方キロ河北郡最北部に位置し、北は羽咋(はくい)郡押水(おしみず)町、東は津幡(つばた)町、南は宇(う)ノ気(け)町、南西は七塚(ななつか)町と接し、西は日本海に面する。北部を南東から北西に大海(おおみ)川が流れ、海岸から砂丘、次に丘陵地帯が広がる。海岸に沿って海側から能登有料道路・国道一五九号・JR七尾線がほぼ並行に貫通する。縄文・弥生・古墳時代の遺跡はおもに大海川流域に散在しているが、とくに中流域に分布する七―一〇世紀の高松・押水古窯跡群は県内有数の古窯跡群として重要である。 高松町たかまつちよう 北海道:渡島支庁函館市旧銭亀沢村地区高松町[現在地名]函館市高松町・湯川町(ゆのかわちよう)三丁目昭和二一年(一九四六)から続く町。昭和八年に亀田(かめだ)郡銭亀沢村が大字を廃止して字名の改正を行った時、旧大字根崎(ねさき)村の字高松を中心に、字土場(つちば)・字寒坂・字根崎・字根崎野・字瀬戸川の一部を併せて新たな字高松とした(銭亀沢村字地番改正調書)。同二一年に字高松の一部が函館市に編入されて高松町となる。昭和三〇年の国勢調査での世帯数一五・人口七六、就業人口比で製造業関係者が四四パーセント、サービス業関係者が二八パーセントを占めていた。 高松町たかまつちよう 群馬県:高崎市高崎城下高松町[現在地名]高崎市高松町明治一〇年(一八七七)までに成立した町で、江戸時代は高崎城外堀内であった。烏(からす)川左岸の崖上の町。北西に接する常盤(ときわ)町には高崎城の馬出しの部分が高松町として張出している。同五年城郭の跡地が陸軍用地となった際除かれた部分である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by