内魚町(読み)うちうおまち

日本歴史地名大系 「内魚町」の解説

内魚町
うちうおまち

[現在地名]徳島市幸町さいわいちよう二丁目・中通町なかとおりまち一丁目

新シあたらし町の東端南北の通りの両側に沿った町人地。魚町、魚の店(棚)ともいわれた。「阿波志」によると魚街には蜂須賀家政が命じて魚貝を販売する商人を置いたという。また文禄二年(一五九三)に和泉国さかい(現大阪府堺市)から来住した秦与兵衛は慶長八年(一六〇三)に内魚街の土地を与えられて魚を商い、堺屋と号したともある。支坊として撞木しゆもく町があった。寛永一九年(一六四二)には寺沢六右衛門に与えられていた「寺島魚之棚町」の屋敷の諸役が免除されている(「滝筑波印判状」徴古雑抄)。貞享二年(一六八五)の市中町数並家数(民政資料)によれば、魚町の町筋は南北一町二五間で、家数は四二軒とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android