日本歴史地名大系 「内黒田村」の解説 内黒田村うちくろだむら 千葉県:四街道市内黒田村[現在地名]四街道市内黒田・池花(いけはな)一―二丁目・千代田(ちよだ)一―二丁目栗山(くりやま)村の北、手繰(たぐり)川流域右岸台地上に位置。内畔田村とも記された(桜井家文書)。東の表谷津、西の裏谷津に水田があり、両谷津が台地を囲むように北端部で合流する。水田は強湿田であったといわれる。寛文九年(一六六九)の検地帳(大熊家文書)に下総国印旛(いんば)郡臼井(うすい)庄内黒田村とあり、甲府様(徳川綱重)家来鈴木四郎左衛門(重俊)の知行所。反別一六町七反余、分米一〇二石余、名請人として二一人と西光(さいこう)院(現無住)が確認できる。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高五九石余、鈴木四郎左衛門(直澄、重俊の子)の知行所。鈴木氏が上総国・下総国に采地を有したのは徳川秀忠時代からで、重俊の父重成が両国に二〇〇石を与えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by