円山城跡(読み)まるやまじようあと

日本歴史地名大系 「円山城跡」の解説

円山城跡
まるやまじようあと

[現在地名]足助町御蔵

阿摺あすり川と久木ひさぎ川の合流点に突出す尾根の先端にある。二条の堀切(空堀)によって本丸・二の丸・三の丸に区切り、一段下にこれらを取巻くように帯曲輪を設ける。初代城主は、室町時代、六代将軍義教に仕えた鈴木和泉守高国・二代円山蔵之輔義清・三代鈴木筑後守高教。高教は永正八年(一五一一)山城国船岡山ふなおかやま合戦の功によって阿摺郷内に領地を賜ったといい、一説には高教が父高国と赴任して築城したとも伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む