日本歴史地名大系 「冷泉為相墓」の解説 冷泉為相墓れいぜいためすけのはか 神奈川県:鎌倉市扇ヶ谷村冷泉為相墓[現在地名]鎌倉市扇ガ谷二丁目浄光明(じようこうみよう)寺裏山の山頂にある。安山岩製の宝篋印塔で、国史跡。為相は藤原為家の第四子、定家の孫、母は「十六夜日記」などの著者阿仏尼。阿仏尼は夫為家の死後、家領播磨国細川(ほそかわ)庄の支配権をめぐって為相の異母兄為氏と訴訟を起こし、そのため鎌倉に下向した。為相もまた、その後鎌倉に下向し、扇(おうぎ)ヶ谷(やつ)支谷の藤(ふじ)ヶ谷に住んで幕府の要人たちの和歌の指導者となり、また連歌の式目として「藤ヶ谷式目」を制定するなど連歌の分野でも活躍した。歌集に「藤谷和歌集」があり、和歌の家としての冷泉家の祖となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
国指定史跡ガイド 「冷泉為相墓」の解説 れいぜいためすけのはか【冷泉為相墓】 ⇒浄光明寺境内-冷泉為相墓(じょうこうみょうじけいだいれいぜいためすけのはか) 出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報 Sponserd by