出雲広貞(読み)いずものひろさだ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「出雲広貞」の意味・わかりやすい解説

出雲広貞
いずものひろさだ
(?―869)

平安前期の医家。摂津(せっつ)国の人。侍医となり、中外記(ちゅうげき)、典薬助(てんやくのすけ)、美作権掾(みまさかごんのじょう)を兼ね、805年(延暦24)桓武(かんむ)天皇の治病に功あって爵一等を進められた。808年(大同3)勅を奉じて安倍真直(あべのまなお)(生没年不詳)とともに『大同類聚方(だいどうるいじゅうほう)』100巻を撰述(せんじゅつ)、また別に命を受け、唐制によって薬枡(くすります)の大小の量を定めた。のち内薬正(うちのくすりのかみ)にあげられ宿禰(すくね)の姓を賜った。『難経開委』の著があるというが伝わっていない。子の菅原岑嗣(すがわらのみねつぐ)(793―870)は『金蘭方(きんらんほう)』を撰した。

[小曽戸洋]

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朝日日本歴史人物事典 「出雲広貞」の解説

出雲広貞

生年:生没年不詳
平安初期の医薬家。重病桓武天皇に昼夜供奉して薬を献上した功績により延暦24(805)年1月,正六位上から外従五位下に昇進。それが外位であったのは家格が低かったためで,大同5(810)年8月従五位下となって入内(外位から内位となること)した。この間摂津国(兵庫県,大阪府)から本拠を平安京左京に移している。安倍真直と共に平城天皇の命を受けて100巻におよぶ医薬書を編纂し,大同3年5月,『大同類聚方』と命名して提出。各地に伝わる古医方,薬方を収集した最初の医薬書である。子の菅原岑嗣も医師となって活躍,貞観10(868)年,菅原に改姓しているから,おそらく広貞はそれ以前に没したと思われる。広貞の医書『難経開委』は散逸

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「出雲広貞」の解説

出雲広貞 いずもの-ひろさだ

?-? 平安時代前期の医師。
菅原岑嗣(みねつぐ)の父。延暦(えんりゃく)24年(805)桓武(かんむ)天皇への投薬の功により外従五位下にのぼり,25年典薬助(てんやくのすけ),侍医となる。大同(だいどう)3年平城(へいぜい)天皇の命により安倍真直(まなお)と日本最初の薬局方「大同類聚方(るいじゅうほう)」を編集。内薬正(ないやくのかみ)にすすみ,弘仁(こうにん)13年(822)正五位下。のち信濃権守(しなののごんのかみ)。摂津出身。

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