改訂新版 世界大百科事典 「大同類聚方」の意味・わかりやすい解説
大同類聚方 (だいどうるいじゅほう)
医書。100巻。平城天皇の808年(大同3),勅命により諸国の神社や国造,県主などの豪族や民間に秘伝されていた薬方を集め,典薬頭安倍真貞(真直,貞負にも作る)と侍医出雲広貞が撰した。用薬部と処方集に分かれ,植物,動物,鉱物など約500種類の薬種と約120種類の疾病,および傷病の処方がある。原本は散逸したといわれており,現存する写本で最も古いのは室町期のもので,完全なものはない。また写本ごとに文の構成や文字,全体の構成も異なり,写し手によって所伝や薬種がまったく別のものになっている場合も多く,病名,薬名にも異同がみられる。とくに薬名は秘方を守るために故意に難解にしたらしく,写し手によって異なるのもそのあたりに起因するものと思われる。所伝のなかには日本の医師の祖と伝えられている大己貴(おおなむち)命や少彦名(すくなびこな)命の神薬のほか,武内宿禰,和気清麻呂・広虫の薬方,応神朝に渡来した阿知王や王仁の薬方,その他,歴史上名高い豪族や民間に伝わるものなどがある。また,とげぬきや乗物酔い,便秘の場合などのユニークな手当法もある。症病別の分類法は984年(永観2)に完成した《医心方》と共通性があるが,処方集なので疾病に関する理論はなく,呪術はほとんどない。
撰者の姓名がさまざまな書き方をされており,官位も異なること,勅撰なのに万葉がなに一部漢文体をまじえた和漢混淆体であること,大同以後の国名や官位を付したものがみられること,15世紀以降の病気とされている梅毒の治療法があることなどから,後世の偽書とする説が近世に強くなった。確かに人名や地名には明らかに後世のものと考えられるものがあるが,それによって全体を偽書と断定することはできない。写本の種類が多いこと,江戸時代には各種の版本も出されていたことは,和薬の書として本書がかなり利用されていたことを裏づけるものであろう。日本人がどんなものを使ってどのように疾病と戦ってきたか,どのような救急法があったか,他国の医療とどのようなかかわりがあるのか,原料の入手法など,日本の古来からの民間薬,民間療法を知るうえではもちろん,人文科学のうえからも博物誌的な意味あいからも,興味ぶかい書といえる。
執筆者:槙 佐知子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報