日本歴史地名大系 「分城村」の解説 分城村わけじようむら 宮崎県:西臼杵郡日之影町分城村[現在地名]日之影町分城七折(ななおり)村の南、五ヶ瀬川の対岸に位置する。南は宇納間(うなま)村(現北郷村)、南西は家代(えしろ)村・七ッ山(ななつやま)村(現諸塚村)。家代村とは九左衛門(くざえもん)峠を越え険しい山々を縫うようにして通る往還によって、代官所への往来や牛馬を使った駄賃付けなどで結ばれていた。高千穂一八ヵ郷の一。寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)に村名がみえ、高四七石余。万治四年(一六六一)の延岡藩村高内検高覚によると内検高五五石余。延享四年(一七四七)の延岡藩領郷村高帳によると本田高五七石余・新田高一一石余(うち改出六石余)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by