朝日日本歴史人物事典 「賀来飛霞」の解説
賀来飛霞
生年:文化13.1.30(1816.2.27)
幕末明治期の本草学者,医者。豊後国(大分県)高田生まれ。本名は睦三郎,睦之。飛霞は号。父有軒は国東の三浦梅園に師事した。兄佐一郎(佐之)と共に帆足万里に董陶を受け,伊藤圭介らと共にシーボルトに学ぶ。天保5(1834)年兄に従って京都に行き,山本亡羊に本草を学ぶ。弘化2(1845)年高千穂など日向全域にわたって採薬。島原藩医であった佐一郎のあとをうけて藩医となる。父祖の地豊前国佐田で明治6(1873)年,牛痘を施している。11年東大小石川植物園取調係となり,15年の東京植物学会創立の基礎作りに尽力。日光,東北,上毛でも採薬し,晩年は佐田で過ごした。郷里では書家,画家としても知られた。「高千穂採薬記」「上毛黒滝紀行」『小石川植物園草木図説』など多くの採薬記や図譜を著し,史料は現在,大分県立歴史民俗資料館(宇佐市)に保管されている。<参考文献>沢武人『高千穂採薬記の周辺』,山下愛子『賀来飛霞・資料篇』
(山下愛子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報