分部光嘉(読み)わけべ みつよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「分部光嘉」の解説

分部光嘉 わけべ-みつよし

1552-1601 織豊-江戸時代前期の武将,大名
天文(てんぶん)21年生まれ。伊勢(いせ)(三重県)の豪族細野藤光の次男。分部光高(みつたか)の養子織田信包(のぶかね),豊臣秀吉につかえ,伊勢上野に1万石余を領した。のち徳川家康に属し,関ケ原の戦いのおり伊勢安濃津(あのつ)城での戦いで功をたて,2万石に加増された。慶長6年11月29日死去。50歳。通称は与三左衛門。名は政寿(まさとし),昌寿とも。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の分部光嘉の言及

【分部氏】より

…近世大名。伊勢国の出身。光嘉は豊臣秀吉に仕え,伊勢国内において1万石を領有。関ヶ原の戦のときより徳川家康に属し,加増されて伊勢上野2万石となる。1619年(元和5)光信のとき近江国に転封。大溝に陣屋を置き,以後幕末に至る。当主は従五位下左京亮,若狭守などに叙任。維新後は子爵。【大森 映子】…

※「分部光嘉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android