朝日日本歴史人物事典 「織田信包」の解説
織田信包
生年:天文12(1543)
戦国・江戸前期の大名。織田信秀の子で,信長の弟。通称は三十郎,名ははじめ信良。信兼とも書かれる。永禄12(1569)年の信長による北伊勢進攻後,伊勢上野城の城主となり,以後,信長に従って各地に転戦した。本能寺の変後,豊臣秀吉に属し,伊勢安濃津城主となったが,小田原攻めのとき,秀吉の機嫌をそこねて所領を没収され,出家して老犬斎と号し,京都慈雲寺に入っている。のち,秀吉の御咄衆として召し出され,慶長3(1598)年,丹波柏原3万6000石を与えられた。関ケ原の戦では西軍に属し丹後田辺城攻めに加わったが,幸いにも旧領を安堵された。
(小和田哲男)
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