コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

織田信包 おだ のぶかね

2件 の用語解説(織田信包の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

織田信包 おだ-のぶかね

1543-1614 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天文(てんぶん)12年生まれ。織田信秀の4男。織田信長の弟。本能寺の変のあと豊臣秀吉につかえ,伊勢(いせ)(三重県)安濃津(あのつ)城主をへて丹波柏原(かいばら)城主となる。3万6000石。関ケ原の戦いで西軍に属したが,所領は安堵(あんど)された。慶長19年7月17日死去。72歳。名は信兼ともかく。初名は信良。通称は三十郎。号は老犬斎。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

織田信包

没年:慶長19.7.17(1614.8.22)
生年:天文12(1543)
戦国・江戸前期の大名。織田信秀の子で,信長の弟。通称は三十郎,名ははじめ信良。信兼とも書かれる。永禄12(1569)年の信長による北伊勢進攻後,伊勢上野城の城主となり,以後,信長に従って各地に転戦した。本能寺の変後,豊臣秀吉に属し,伊勢安濃津城主となったが,小田原攻めのとき,秀吉の機嫌をそこねて所領を没収され,出家して老犬斎と号し,京都慈雲寺に入っている。のち,秀吉の御咄衆として召し出され,慶長3(1598)年,丹波柏原3万6000石を与えられた。関ケ原の戦では西軍に属し丹後田辺城攻めに加わったが,幸いにも旧領を安堵された。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の織田信包の言及

【津[市]】より

…最初の築城者については諸説あるが,16世紀中葉のこととされる。織田信長の伊勢征圧で津はその支配下におかれ,以後20余年間織田信包(のぶかね)が城主となった。信包は1580年(天正8)津城を拡張,天守閣を建立し,津町を阿漕の旧地から城下に移して,住民に公課免除の特典を与えた。…

※「織田信包」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

織田信包の関連キーワード織田信勝織田信貞織田信武織田信則織田信治織田信房織田信昌織田信光織田信行織田信富

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone