日本歴史地名大系 「別院村」の解説 別院村べついんむら 和歌山県:海南市別院村[現在地名]海南市別院北東流する貴志(きし)川左岸の河岸段丘に集落・耕地があり、北から西南にかけて丘陵が囲む。那賀(なが)郡に属し、貴志川を挟んで東と南は中(なか)村、西は名草(なくさ)郡小野田(おのだ)・坂井(さかい)の両村。石清水(いわしみず)八幡宮領野上(のかみ)庄に勧請された別宮野上八幡神社(現海草郡野上町)の別院として、当地に金剛遍(こんごうへん)寺・金剛宣(こんごうせん)寺が建立され、村名はこの宮寺(別院)の所在による。延久四年(一〇七二)九月五日の太政官牒(石清水文書)に「別院金剛遍寺金剛宣寺田」として九町二反とあり、その所在を記される。この別院は中世の兵乱で荒廃したと伝える。「続風土記」は「別院五院あり、金剛遍寺・菩提寺・万宝院・成徳院・井岡院といふ、金剛遍寺は其頭寺にて其余は寺中にてありしなるへし、後世兵乱に寺領皆没収せられ五院も亦兵燹に焼亡し今其名田地の字に遺れり、天正五年独金剛遍寺を再建す」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by