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和歌山県北西部、那賀郡(ながぐん)にあった旧町名(貴志川町(ちょう))。現在は紀の川市南西部を占める地域。旧貴志川町は、1955年(昭和30)東貴志、中貴志、西貴志、丸栖(まるす)の4村が合併、町制を施行して成立。2005年(平成17)打田(うちた)、粉河(こかわ)、那賀、桃山(ももやま)の4町と合併・市制施行して、紀の川市となった。わかやま電鉄貴志川線、国道424号が通じる。紀ノ川の支流貴志川に沿い、紀ノ川との合流点の丸栖は洪水常襲地、広い河岸段丘は干魃(かんばつ)地であったが、山田ダムができて解消し、北西部の紀の川市桃山町地区の影響でモモ栽培が広がった。和歌山市に隣接し住宅開発が進んでいる。古墳時代前期の丸山古墳は県史跡。
[小池洋一]
『『貴志川町史』全3巻(1981~1988・貴志川町)』
和歌山県北部を流れる川で,紀ノ川最大の支流。全長39km。高野山に源を発して西に流れ,海南市沖野々で流路を大きく北に転換し,紀の川市の旧貴志川町を経て岩出市で紀ノ川に合流する。沖野々より上流は,野上谷と呼ばれ,低い分水嶺を越えて海南市の日方川の谷に至るが,河川争奪があったため貴志川に大きな曲流が生じたと解釈されている。野上谷一帯は,近世以来,シュロの栽培が行われ,下流部ではたわし,ほうき,縄の生産が盛んであった。現在は,原料を化繊に変えて和雑貨の生産が行われている。旧貴志川町には段丘が発達しているが,水の便が悪かったため,段丘上の水田の灌漑用水として1957年山田ダムが築かれた。紀の川市旧桃山町にかけての山腹では桃の生産が盛んである。
執筆者:水田 義一
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…人口4423(1995)。紀ノ川の支流貴志川が中央を西流し,貴志川の支流鞆淵(ともぶち)川が北部を西流する。貴志川の谷筋は野上谷とよばれ,川沿いに高野街道が通り,中心集落の神野市場(こうのいちば)から南に竜神街道が分岐し,有田郡との境をなす長峰山脈を遠井辻(といつじ)峠によって越える。…
※「貴志川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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