日本歴史地名大系 「利松村」の解説
利松村
としまつむら
[現在地名]五日市町利松
嘉禎四年(一二三八)七月日付の安芸国佐西郡三ケ年作田所当進未注進状(新出厳島文書)に「佐西郡解申注進嘉禎元二三ケ年作田所当官物進未引付事」として「利松八丁百廿歩」が応輸田のうち別結解とされており、国衙領に属していたが、事実上は厳島社領化が進んでいたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
嘉禎四年(一二三八)七月日付の安芸国佐西郡三ケ年作田所当進未注進状(新出厳島文書)に「佐西郡解申注進嘉禎元二三ケ年作田所当官物進未引付事」として「利松八丁百廿歩」が応輸田のうち別結解とされており、国衙領に属していたが、事実上は厳島社領化が進んでいたと考えられる。
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