前田利鬯(読み)マエダ トシカ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「前田利鬯」の解説

前田 利鬯
マエダ トシカ


肩書
貴院議員

生年月日
天保12年6月12日(1841年)

出生地
加賀国金沢(石川県)

経歴
加賀藩主前田斉泰の七男に生まれ、藩臣前田貞事の養子となるが、兄の大聖寺藩主前田利行が早世したため復籍、安政2年遺領を継ぐ。幕末、同藩は加賀藩に追随する佐幕主義をとっていたが、明治元年大勢が決して北越戦争が始まると、北陸道鎮撫総督高倉永祜に親書を奉呈して忠誠を誓い、また弾薬製造命令には贋金を鋳造してまでも資金調達をしてこれに応じ、自発的に越後新潟の警備にあたるなど勤王に努めた。維新の混乱期を一度も戦わず乗り切り、翌2年版籍奉還に際して藩知事就任、4年廃藩を機に東京へ移り、以後宮中の諸職を歴任した。9年宮中祗候、11年御歌会講師、12年御書籍御道具取調宸翰取調御用掛、15年太政官御用掛、ついで御歌会講頭御人数、修史館御用掛を経て、20年掌典となり、御歌会始講頌御歌所参候などを努めた。この間17年子爵。30年貴院議員となった。

没年月日
大正9年7月27日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前田利鬯」の解説

前田利鬯 まえだ-としか

1841-1920 幕末-大正時代の大名,華族
天保(てんぽう)12年6月12日生まれ。加賀金沢藩主前田斉泰(なりやす)の7男。安政2年兄利行(としみち)の急死でその跡をつぎ,加賀大聖寺(だいしょうじ)藩主前田家14代。茶道,歌道に長じた。維新後,掌典などを歴任。明治17年子爵。30年貴族院議員。大正9年7月28日死去。80歳。初名は貞用,のち利益。通称は桃之助。号は竹径,虚心斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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