改訂新版 世界大百科事典 「前蜀王建墓」の意味・わかりやすい解説
前蜀王建墓 (ぜんしょくおうけんぼ)
Qián Shǔ Wáng Jiàn mù
中国,四川省成都市の西郊にある五代の前蜀王,王建の墓。永陵という。欧陽修の《新五代史》には〈光天元年(918)6月卒す,……神武経文孝徳明恵帝とおくり名し,高祖とよんだ〉とある。1942年と43年に発掘調査された。墳丘は円形で,高さ約15m,径80m余をはかる。墓室は紅砂岩でつくられ全長30.8m,14のアーチで構築されており,木の門で前・中・後の3室に分けられている。最も大きい中室には,長さ7.45m,幅3.35m,高さ0.84mの紅砂岩の棺床が置かれている。その東・南・西面には琵琶,笛,箏,笙などを持った24人の楽伎が浮彫にされており,当時の音楽を知るうえでの貴重な資料となっている。また棺床の周囲には東西に,十二の神将の半身石像が配されている。棺床の上には3層の木台が置かれ,その上に木製漆塗の棺槨と,座金をつけた棺が置かれていた。棺内には,〈永平5年〉(915)の銘のある玉の大帯や,銀盒,銀猪などの銀器,方25.2cmの銅鏡などが残っていた。そのほかに中室内で,紅砂岩製甕,各種陶器,鉄牛などが出土している。後室には石床がつくられ,その上に手前から冊匣(さくこう),宝(ほうろく),王建像が置かれている。冊匣は木製金銀平脱文漆箱で,玉の哀冊(あいさく)51簡と諡冊(しさく)50簡が納められていた。宝も二重の木製金銀平脱文漆箱で,白玉製の諡宝(しほう)(璽印)が入っていた。最奥の王建像は紅砂岩製で高さ86cm,唐代の帝王の常服を身につけ,几上に座した姿が写実的に表現されている。
執筆者:岡崎 敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報