20世紀日本人名事典 「力石雄一郎」の解説 力石 雄一郎チカライシ ユウイチロウ 明治〜昭和期の官僚 長野県知事;大分県知事。 生年明治9年6月30日(1876年) 没年昭和8(1933)年3月17日 出生地愛媛県 学歴〔年〕東京帝大法学部〔明治33年〕卒 経歴愛媛県の旧藩士の長男に生まれ、上京して旧制中学に入る。明治35年内務省に入省し、43年〜大正2年長野県内務部長を務め、県庁・県会議事堂の建設に尽力した。岐阜県内務部長を経て、3〜4年長野知事に就任、焼失した県会議事堂の再建や元上田女子師範学校不用土地建物の処分問題などに当たった。のち大分、茨城、宮城、秋田、新潟各県の知事を歴任し、昭和3年大阪府知事を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「力石雄一郎」の解説 力石雄一郎 ちからいし-ゆういちろう 1876-1933 明治-昭和時代前期の官僚。明治9年6月30日生まれ。35年内務省にはいり,長野県,岐阜県の内務部長などをへて,長野,大分,茨城,宮城,秋田,新潟各県の知事をつとめる。昭和3年大阪府知事となった。昭和8年3月17日死去。58歳。愛媛県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by