加増野村(読み)かぞうのむら

日本歴史地名大系 「加増野村」の解説

加増野村
かぞうのむら

[現在地名]下田市加増野

横川よこかわ村の北西、東流する稲生沢いのうざわ川の上流に位置する。加僧野村とも記す。慶長三年(一五九八)横川村の吉田某が開発し、同村から分村したという(箕作村外十ヵ村村誌調)。江戸時代の領主の変遷は大沢おおさわ村と同じ。元和七年(一六二一)には新田四町五反余(「荒川成酉年改帳」伊豆下田)。万治三年(一六六〇)名寄帳(同書)によれば田一九町七反余・畑一〇町九反余・屋敷六反余、高三一五石余。元禄郷帳によると高三三二石余。慶応四年(一八六八)の書上帳(井出家文書)によると家数六九・人数二五九、寺二・僧二。「増訂豆州志稿」によれば炭・結香・椎茸を産する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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