朝日日本歴史人物事典 「加屋霽堅」の解説
加屋霽堅
生年:天保7.1.13(1836.2.29)
幕末維新期の尊攘派志士,神風連(敬神党)の乱の指導者。名は楯行。肥後藩(熊本県)藩士加屋熊助の長男。16歳のとき,父が自殺し家名断絶。苦学して林桜園の原道館で国典を学ぶ。万延1(1860)年家名再興を許され,以後,藩内尊攘派の中心として活躍。文久2(1862)年細川護美に従って上京。翌年学習院録事。8月18日の政変で帰藩させられ,慶応3(1867)年まで入牢。維新後,藩外交生として長崎,京都に派遣されたが,明治4(1871)年,反政府活動を展開した大楽(源太郎)騒動に連座し再び投獄。同7年,県社錦山神社祠官となるが,同9年公布の廃刀令に憤り辞職。同年10月太田黒伴雄らと神風連一統を率いて熊本鎮台兵営を襲撃,反撃され戦死した。
(三澤純)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報