加屋霽堅(読み)かや はるかた

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加屋霽堅」の解説

加屋霽堅 かや-はるかた

1836-1876 幕末-明治時代の武士,神職
天保(てんぽう)7年1月13日生まれ。肥後熊本藩士。文久2年(1862)藩主の弟長岡護美(もりよし)にしたがって京都にいき,他藩の尊攘(そんじょう)派とまじわる。翌年八月十八日の政変帰藩を命じられ,蟄居(ちっきょ)。大楽(だいらく)源太郎騒動にかかわったのち,明治7年錦山神社祠官。太田黒伴雄(ともお)らと神風連の乱をおこして熊本鎮台兵営を襲撃,明治9年10月24日戦死した。41歳。字(あざな)は楯行。通称は栄太。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の加屋霽堅の言及

【神風連の乱】より

…敬神党の乱ともいう。敬神党(神風連)は1872年(明治5)ころ,太田黒伴雄(大野鉄平)や加屋霽堅(はるかた)らが熊本に組織したもので,彼らは保守的・国粋主義的立場から明治政府の開明政策に反対し,腰に長剣を帯び,頭に髻(もとどり)を束ね,烏帽子をかぶり,神道を尊崇し,外人を嫌忌し,復古的排外主義を主張した。この地には池辺吉十郎らの国権党や宮崎八郎に代表される民権党もあり,主義主張は異にしていたが,共に反政府の立場をとっていた。…

※「加屋霽堅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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