加藤弁三郎(読み)カトウ ベンザブロウ

20世紀日本人名事典 「加藤弁三郎」の解説

加藤 弁三郎
カトウ ベンザブロウ

昭和期の仏教者,実業家 協和発酵工業会長。



生年
明治32(1899)年8月10日

没年
昭和58(1983)年8月15日

出生地
島根県簸川郡

学歴〔年〕
京都帝大工学部化学科〔大正12年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔昭和5年〕

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和37年〕,勲一等瑞宝章〔昭和41年〕

経歴
大正12年四方合名会社(現・宝酒造)に入社。昭和24年、協和発酵工業設立とともに社長となり、以後20年間社長を務めた。発酵化学の権威で、日本化学工業協会会長はじめ、工業所有権審議会委員、科学技術庁顧問、日本特許情報センター会長、また在家仏教協会初代理事長などを歴任。平成11年著作集「いのちの尊し」が発行された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤弁三郎」の解説

加藤弁三郎 かとう-べんざぶろう

1899-1983 昭和時代の化学技術者,経営者。
明治32年8月10日生まれ。四方合名(現宝酒造)に入社。昭和12年協和化学研究所を開設,24年協和醗酵工業を創設し社長,34年会長。ストレプトマイシン量産に成功し,発酵法によるL-グルタミン酸などを製造。この間,金子大栄らとであい,仏教者となる。29年在家仏教協会理事長。昭和58年8月15日死去。84歳。島根県出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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