加藤隆義(読み)カトウ タカヨシ

20世紀日本人名事典 「加藤隆義」の解説

加藤 隆義
カトウ タカヨシ

大正・昭和期の海軍大将 海軍大学校長。



生年
明治16(1883)年3月20日

没年
昭和30(1955)年2月10日

出生地
東京

旧姓(旧名)
船越

学歴〔年〕
海兵〔明治36年〕卒,海大〔大正3年〕卒

経歴
元帥加藤友三郎子爵の養嗣子。大正3年「春日」航海長、軍務局員を経て6年フランス駐在、8年パリ講話会議全権随員、帰国後第1艦隊参謀、東宮武官、14年「霧島艦長、昭和2年国際連盟海軍代表、3年空軍代表兼任、4年軍令部第1班長を経て第1航空戦隊司令官、海軍大学校長、航空本部長を歴任、9年軍令部次長、10年第2艦隊司令長官、呉鎮守府長官、13年軍事参議官、14年大将となり、20年予備役。宮廷と海軍のパイプ役を果たした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤隆義」の解説

加藤隆義 かとう-たかよし

1883-1955 大正-昭和時代前期の軍人
明治16年3月20日生まれ。船越衛(まもる)の子。加藤友三郎の養子。昭和2年国際連盟海軍代表。5年のロンドン海軍軍縮条約の締結には加藤寛治らとともに反対した。のち第二艦隊司令長官,軍事参議官などを歴任。14年大将。昭和30年2月10日死去。71歳。東京出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「加藤隆義」の解説

加藤 隆義 (かとう たかよし)

生年月日:1883年3月20日
大正時代;昭和時代の海軍軍人。大将;子爵
1955年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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