20世紀日本人名事典 「船越衛」の解説 船越 衛フナコシ マモル 江戸時代末期・明治期の官僚,政治家,男爵 枢密顧問官;貴院議員(勅選)。 生年天保11年6月(1840年) 没年大正2(1913)年12月23日 出生地安芸国(広島県) 経歴大村益次郎について兵学を学び、文久3年(1863年)上京、尊皇攘夷論を唱える。長州征伐では和解につとめる。維新後新政府の徴士、江戸府判事、軍務官権判事となる。戊辰戦争では東北遊撃軍参謀として奥羽に出征。2年兵部権大丞、のち同大丞、5年陸軍大丞となり、7年佐賀の乱に従軍。同年内務省に転じ、内務権大丞、内務権大書記官を経て、13年千葉県令、19年千葉県知事、21年元老院議官、23年石川県知事、24年宮城県知事などを歴任。27年貴院議員、43年枢密顧問官を務めた。29年男爵。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「船越衛」の解説 船越 衛フナコシ マモル 肩書枢密顧問官 生年月日天保11年(1840年) 出身地安芸国(広島県) 経歴大村益次郎について兵学を学び、文久3年上京、尊皇攘夷論を唱える。長州征伐では和解につとめる。維新後新政府の徴士、江戸府判事、軍務権判事となる。戊辰戦争では東北遊撃軍参謀として奥羽に出征。佐賀の乱、西南戦争に従軍。13年千葉県令を経て、21年元老院議官となる。石川県・宮城県知事などを歴任、27年貴院議員、43年枢密顧問官をつとめた。 没年月日大正2年12月23日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「船越衛」の解説 船越衛 没年:大正2.12.23(1913) 生年:天保11.11.(1840) 明治時代の官僚,政治家。旧広島藩士。幕末期,大村益次郎について兵学を学んだ。明治1(1868)年徴士として江戸府判事に任官,つづいて東北遊撃軍副参謀として戊辰戦争に参加した。2年兵部権大丞に任官,大丞に進み,5年2月軍制改革にともない陸軍大丞となったが,6年8月,依願免官となる。前年12月に起きた山城屋和助割腹事件に際して発覚した陸軍省汚職問題で,陸軍大輔山県有朋をかばっての辞職であったとされる。後年,長子・光之丞が山県の2女松子を妻に迎えている。7年1月内務省に転じ,戸籍権頭,内務権大丞,戸籍局長を経て,13年千葉県令,19年千葉県知事,23年石川県知事,24年宮城県知事を歴任。21年元老院議官。27年貴族院議員。29年男爵。43年枢密顧問官に就任。<参考文献>手島益雄『男爵船越衛伝』 (西尾林太郎) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「船越衛」の解説 船越衛 ふなこし-まもる 1840-1913 幕末-明治時代の武士,官僚。天保(てんぽう)11年6月15日生まれ。安芸(あき)広島藩士。大村益次郎(ますじろう)に兵学をまなぶ。戊辰(ぼしん)戦争では東北遊撃軍参謀となり,佐賀の乱,西南戦争にも従軍。明治19年千葉県知事。元老院議官,石川県,宮城県の知事をつとめ,27年貴族院議員。43年枢密顧問官。大正2年12月23日死去。74歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by