朝日日本歴史人物事典 「加賀見光章」の解説
加賀見光章
生年:正徳1.2.15(1711.4.2)
江戸中期の神官,国学者。通称は小膳,台前,信濃守。号は桜塢,河上など。幕臣間宮高成の子。甲斐国山梨郡下小河原(甲府市)の山王権現社神職加賀見尭光の養子となる。享保12(1727)年京都に上り,歌学を姉小路実紀に,国学を鳥谷長庸に,儒学を三宅尚斎に,垂加流神道を玉木正英に学んだ。帰郷して家塾環松亭を開き子弟を教育した。明和事件(1767)の主謀者山県大弐が門人であったため,光章にも嫌疑がかかり,江戸に召喚され伝馬町の牢に下獄したが,のち無罪。主著に『神学指要』がある。
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報