朝日日本歴史人物事典 「石谷清昌」の解説
石谷清昌
生年:正徳5(1715)
江戸中期の旗本。西ノ丸小十人頭,西ノ丸目付,佐渡奉行を経て宝暦9(1759)年10月勘定奉行,同12年に長崎奉行を兼ねる。主に貿易・長崎関係を担当し,南鐐二朱判の発行のための銀の輸入,輸出銅の統制のために大坂銅座の設立などを行い,また俵物の増産のため添翰を渡した請負商を各地の浦々に派遣しその製法の普及に努めた。明和7(1770)年6月長崎奉行の兼帯を解かれた際,その功を賞され300石加増され800石となる。引き続き長崎御用を江戸にて勤めるよう命じられた。その後,田安家家老を兼ねながら安永5(1776)年将軍徳川家治の日光社参の掛,朝廷経費削減などの職務を行い,同8年4月留守居に転じ,天明2(1782)年10月辞任した。
(針谷武志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報