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石谷清昌 いしがい きよまさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石谷清昌 いしがい-きよまさ

1715-1782 江戸時代中期の武士。
正徳(しょうとく)5年生まれ。徳川吉宗の小姓をつとめ,延享元年家督をつぐ。吉宗没後,佐渡奉行をへて,宝暦9年勘定奉行に就任。長崎奉行や田安家の家老もかね,安永8年留守居(るすい)にすすんだ。天明2年11月10日死去。68歳。姓は「いしがや」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

石谷清昌

没年:天明2.11.10(1782.12.14)
生年:正徳5(1715)
江戸中期の旗本。西ノ丸小十人頭,西ノ丸目付,佐渡奉行を経て宝暦9(1759)年10月勘定奉行,同12年に長崎奉行を兼ねる。主に貿易・長崎関係を担当し,南鐐二朱判の発行のための銀の輸入,輸出銅の統制のために大坂銅座の設立などを行い,また俵物の増産のため添翰を渡した請負商を各地の浦々に派遣しその製法の普及に努めた。明和7(1770)年6月長崎奉行の兼帯を解かれた際,その功を賞され300石加増され800石となる。引き続き長崎御用を江戸にて勤めるよう命じられた。その後,田安家家老を兼ねながら安永5(1776)年将軍徳川家治日光社参の掛,朝廷経費削減などの職務を行い,同8年4月留守居に転じ,天明2(1782)年10月辞任した。

(針谷武志)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の石谷清昌の言及

【佐渡金山】より

…900m余)を掘るなど10年ほどの間に総額15万両にも及ぶ大投資を行い,鉱山は一時活気をとり戻すが,享保改革にともなって大縮小を余儀なくされた。宝暦(1751‐64)に至って奉行石谷清昌は鉱山仕法を全面的に改め,精錬所を奉行所内に取り込むなど鉱山の合理化に取り組み,安永(1772‐81)には江戸,大坂などから無宿者を送り込んで佐州水替人足として使役することにした。しかし鉱況は不振を極め,文化(1804‐18)に至って江戸に送られる灰吹銀はついに年100貫を割り込んでしまった。…

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