勝田重太朗(読み)カツタ ジュウタロウ

20世紀日本人名事典 「勝田重太朗」の解説

勝田 重太朗
カツタ ジュウタロウ

大正・昭和期の実業家 元・産経新聞社長;元・信越放送社長。



生年
明治20(1887)年4月15日

没年
昭和42(1967)年11月16日

出生地
長野県長野市

学歴〔年〕
日本大学法学部〔大正2年〕卒

経歴
京城日報から大正5年新愛知東京支社長、14年広告代理店弘報堂常務、昭和12年レート化粧品本舗宣伝部長、16年科学主義工業社(出版)社長となり、間もなく新愛知に復社、17年中部日本新聞への統合退社、東京新聞理事を経て19年中部日本新聞社常務取締役総務局長となった。敗戦と同時に辞め、21年夕刊名古屋タイムズを創刊、社長となった。23年東宝取締役砧撮影所長となり、東宝争議人員整理を行い辞任。25年信濃毎日新聞社副社長、26年信越放送を創立、社長に就任したが30年産経新聞社長に迎えられ、時事新報との合同を行った。35年産経時事社長を退任、35年信越放送社長に復帰した。39年会長、40年顧問。著書に「俠骨松田翁」「義太夫研究」「俳句研究」「新聞に生きる」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勝田重太朗」の解説

勝田重太朗 かつた-じゅうたろう

1887-1967 大正-昭和時代の新聞・放送経営者。
明治20年4月15日生まれ。信濃(しなの)毎日新聞などをへて昭和19年中部日本新聞の常務。23年東宝取締役となり,人員整理をおこなう(東宝争議)。25年信濃毎日新聞副社長。27年信濃放送(のちの信越放送)を創立,社長に就任。30年産業経済新聞社長。昭和42年11月16日死去。80歳。長野県出身。日大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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