朝日日本歴史人物事典 「勤子内親王」の解説
勤子内親王
生年:延喜4(904)
平安時代前期,藤原師輔の妻。醍醐天皇と源周子の子。「いそこ」とも。延喜8(908)年著裳し,内親王となる。四品。その著裳料の屏風には紀貫之が和歌を詠んだ。藤原師輔と結婚したが,子供には恵まれなかった。師輔は勤子の異母妹康子内親王とも結婚したが,臣下として初めて内親王と結婚した人物。勤子は聡明従順で,容姿花の如しとされた。音楽,書画の才能に秀で,特に箏は父天皇から直々に教えられたという。源順に命じてわが国最初の百科辞典『和名類聚抄』を選述させた。『願文集』(『続群書類従』)には師輔が修した勤子の七々日仏事の願文(大江朝綱作)がある。
(京楽真帆子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報