北久米村(読み)きたくめむら

日本歴史地名大系 「北久米村」の解説

北久米村
きたくめむら

[現在地名]松山市北久米町きたくめまち

松山平野の南平坦部に位置する農村。東は南久米村、西は星岡ほしのおか村、南は今在家いまざいけ村、北は福音寺ふくおんじ村に接する。

「日本地理志料」によれば、古代には久米郡久米郷に属する。中世には河野氏の支配下にあり、室町時代にはその家臣仙波氏の統治を受けた。近世に入り、加藤嘉明蒲生忠知の治世を経て、松平氏による松山藩領となった。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の久米郡の項に「久米村 松林有」と記され、元禄一三年(一七〇〇)の領分附伊予国村浦記にも「久米村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android