北堀江四丁目(読み)きたほりえよんちようめ

日本歴史地名大系 「北堀江四丁目」の解説

北堀江四丁目
きたほりえよんちようめ

[現在地名]西区北堀江四丁目

北堀江三丁目の西に続く町で、南面する堀江川には五丁目との境の道筋かめ橋が架かる。元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一九・役数二六役で、うち町年寄分一役(町年寄は記されない)と惣年寄住吉屋藤左衛門の拝領屋敷分一役が無役。彼は代々南組惣年寄の家柄で、同一一年の堀江新地開発後、北組惣年寄の多米由悦と二人で同新地の支配を命じられて地代金の徴収などにあたり、同一六年には北組惣年寄に転じた(大阪市史)。新地開発時許可された道者宿一四一軒の一部があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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