朝日日本歴史人物事典 「北川殿」の解説
北川殿
生年:生年不詳
戦国時代の北条早雲の妹(一説には姉)で,駿河守護今川義忠の妻。室町幕府の政所執事伊勢氏の一族として京都にいたが,応仁の乱勃発のころ結婚し,駿河に下る。夫義忠が不慮の死を遂げたとき,嫡子の竜王丸(氏親)はわずか4歳であった。そのため一族小鹿範満との間に家督争いが起こり,竜王丸を伴って身を隠した。早雲の力で難を逃れ,長享1(1487)年に早雲が範満を討つとようやく子と共に駿府に帰ることができた。北川殿の名は,安倍川の支流のひとつで駿府の北を流れる北川にちなみ,その川のほとり(静岡市大岩)に居館があったからといわれる。この居館跡はのち孫氏輝の菩提寺の臨済寺となり,今に歴史を伝える。連歌師宗長とは長いつき合いで,『宗長日記』にもその名がみえる。現沼津市内に領地を持っていた関係から同市大平にはゆかりの寺桃源院がある。
(池上裕子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報