朝日日本歴史人物事典 「タナサカシ」の解説
タナサカシ
生年:生年不詳
16世紀初期の蝦夷地西部の首長。多那嶮ともタナケシとも記す。大永5(1525)年以降セタナイ(瀬棚)を本拠とするアイヌ民族の首長の圧力が蠣崎氏に対し強まった。享禄2(1529)年3月蠣崎義広はタナサカシの南下に対抗し,工藤祐兼,祐致兄弟に命じてタナサカシの本拠を攻撃。攻撃は失敗し工藤祐兼が戦死した。一方タナサカシは長駆して上ノ国勝山館を攻撃,蠣崎義広を包囲。義広はタナサカシに和議を申し入れ,賠償品の宝器を受け取ろうとしたタナサカシを勝山館より射殺し,かろうじて勝利を得た。<参考文献>海保嶺夫『中世の蝦夷地』,松前景広編『新羅之記録』(『新北海道史』7巻),『松前家記』1(『松前町史』史料編1)
(海保洋子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報