日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポントルモ」の意味・わかりやすい解説
ポントルモ
ぽんとるも
Pontormo
(1494―1556/57)
イタリアの画家。本名Jacopo Carucci。通称は生地エンポリ近郊ポントルモ(現ポントルメ)に由来。バザーリの『美術家列伝』によれば、最初レオナルド・ダ・ビンチの弟子であったという。その後ピエロ・ディ・コジモの弟子を経て、1512年ころサルトの工房に入り、翌年独立。初期作品においてはフィレンツェ盛期ルネサンスの影響下にあったが、サン・ミケーレ・ビズドミーニ聖堂の祭壇画(1518)において古典様式の殻を破り、マニエリスムへの志向を明確にした。その後メディチ家別荘ポッジョ・ア・カイアーノのルネット装飾(1519~21)およびデューラーの版画に着想を得たガルッツォのチェルトーザ修道院の壁画連作『受難』(1523~24)において、次々と新機軸を打ち出した。そしてサンタ・フェリチタ聖堂の装飾(1525~28)によって円熟したマニエリスムの画風を確立し、フィレンツェ・マニエリスムの発展の基礎を固めた。その祭壇画『十字架降下』は彼の代表作である。
1530年以降ミケランジェロに傾倒し、カレッジ(1535~36)およびカステッロ(1537~43)のメディチ家別荘の回廊装飾、サン・ロレンツォ聖堂メディチ家礼拝堂の壁画装飾(1546~56、彼の死後ブロンツィーノにより完成)に従事。これらの装飾は現存しないが、残された素描から、彼が卓越した素描家であったことがうかがい知れる。また肖像画家としても優れていた。最晩年の「日記」(1554年から56年の日付をもつ)は、彼の興味深い生活記録である。フィレンツェに没。
[三好 徹]