直系1親等の血族で、通例父母とその子の間柄をさす。この場合、実親子だけでなく養親子なども含まれるので、親子は血縁のあるものに限られない。親子は、夫婦とともに、家族を構成するもっとも基礎的な人間関係である。もとより親子は愛情と信頼の感情で強く結ばれること人類共通である。しかし子の親に寄せる態度は、父系社会では父親には尊敬を抱き、母親には情愛を求めるのに対して、母系社会ではそれがまったく逆になることが多い。親子の組合せを父と息子、父と娘、母と息子、母と娘の4種に分けてみると、それぞれの関係は時代、地域および階層によってかならずしも同一ではない。日本では古来父と息子の関係が重視され、他の3種を圧倒した。そして中世武家社会で長男子による「家督相続」が定着するとともに、長男子の地位が他子はもとより母をもしのぐようになった。やがて父と長男子を結ぶ縦の継承線に沿って「家」の観念が醸成された。近世武家社会でも、父と長男子の結合は強く、儒教の興隆と相まって「孝」の思想に裏づけされ、それはいっそう固められた。相続、隠居、養子、分家など、つねに父と長男子を中心に案配された。その精神は明治時代に引き継がれ、明治民法では家督相続に長男子の優先がはっきりと示された。他方、民間の一部では近来まで姉(あね)家督相続、末子相続などの慣行が伝えられ、かならずしも長男子にこだわらなかった。
もともとオヤ、イヤとは敬うべき者をさし、産みの親、養いの親以外の親があっても不思議ではないとされていた。その代表例が出産時や成年時にたてる仮の親である。前者には取上げ親、名付け親、拾い親などがあり、後者には元服(げんぷく)親、烏帽子(えぼし)親、鉄漿(かね)親、仲人(なこうど)親などがみられる。これらの仮親に産児が無事に成長するよう保護を求め、あるいは一人前の人間として生活しうるよう社会的、経済的な支援を請うたものである。仮の親子関係を親方・子方と親分・子分とも称した。
村落社会では、古来オヤは労働の統制、指導にあたり、多くのコを率いて一つの労働組織を形成してきたともいわれる。
[竹田 旦]
直系1親等の血族を親子といい、法律上は「しんし」とよばれる。法律上の親子には血のつながった実の親子(実親子)と、血のつながりはないが、法律によって実親子と同じような関係を認められている親子(養親子)とがある。前者を自然血族、後者を法定血族という。継親子(けいしんし)、嫡母庶子(ちゃくぼしょし)は明治民法では法定血族とされていたが、新民法で親子と認められないから単なる姻族一親等である。
[山本正憲・野澤正充]
親と子の関係が独立に法的な規制の対象となったのは、家族制度が緩くなり、家族員の独立性が認められるようになってからで、初めは親とくに父の子に対する家長的支配(父権)を中心とした「家のための親子法」といった性格が強かった。家族制度のいっそうの衰微とともに、親子関係は親自身のための権力支配関係へと変化して、いわば「親のための親子法」の性格を帯びるようになった。さらに近世に入ると、親子関係は、未成熟児の監護・哺育(ほいく)を中心とするものとなり、親の権力は子を保護するために親に認められるものとされ、はじめて「子のための親子法」が生まれることになった。こうして第一次世界大戦後、私生子法、養子法などが世界各国で立案され、改正された。
日本では家族制度が最近まで存続していたから、「子のための親子法」の段階に至らなかった。第二次世界大戦後の民法改正で、近代的親子法樹立のための努力が払われてはいるが、なお、今後の努力を必要とする点も多い。
家族法には、一夫一婦の婚姻関係を確立し、保護しなければならないという婚姻法的原理と、未成熟児の監護・哺育のために親を決定しなければならないという親子法的原理がある。そこで両親が婚姻している場合には矛盾を生じないが、婚姻関係にない男女の間に生まれた子の場合には矛盾を生じる。すなわち、婚姻外に生まれた子を無視すれば、親子法の原理に背くことになり、そのような子を婚姻によって生まれた子とまったく差別しないとすると、法律によって保護された婚姻関係を軽視することにもなりかねない。そこで、両者を折衷した立場が考えられる。すなわち、婚姻しているとしていないとを問わず、生まれた子が血縁関係にあれば、親子関係を認め、最小限度必要とされる監護・哺育関係だけを等しく認めるが、その他の親子効果の点については両者を区別する立場(ドイツ主義)がある。また、婚姻外に生まれた子の場合は、血縁関係の存在だけでは親子関係を認めず、その成立は困難であるが、一度親子関係が認められれば両者をまったく平等に取り扱おうとする立場(フランス主義)がある。日本の民法はほぼ、後者の立場を採用しているといえる。
親子法の基本的課題は、どういう人と人との間に法律上の親子関係を認めたらよいか、また、認められた親子間にどのような法律効果を認めたらよいかということであるが、あくまで「子のための親子法」の観点から、子を基準として考えねばならない。生活能力を欠く子を監護・哺育して、有能な社会の一員とすることは、基本的には国家・社会に課せられた任務であるが、事実上は適当な個人にそれを委託しなければならず、委託された者が法律上の親にほかならないと考えるべきであろう。そこで何人を法律上の親とすべきかについては、一国の立法政策の問題であるが、そこには考えるべき三つの事情がある。
第一に、血縁のある父母を法律上親とすることはきわめて自然かつ妥当であるが、血縁の存在自体はかならずしもつねに明らかではない。父子関係では、単に推測されるにとどまるものであり、分娩(ぶんべん)の事実によって明らかであるはずの母子関係でも、棄子(すてご)・誘拐などによって一度その関係が不明になればこれを明らかにするのは容易ではない。また、非配偶者間の人工受(授)精子については血縁上父子関係のないことは明らかである。したがって血縁の存在のみを基準として親子関係を決定するのは妥当ではない。
第二に、親子法の本質の一つである、子を監護・哺育している事実もまた、親子関係を認めるうえで重大な要素である。養子縁組みによって血縁関係のない当事者間にでも親子関係を認めるのは、その一例である。
第三に、親子になろうとする当事者の意思もまた無視できない。いわゆる任意認知は親の側における、親子関係をもちたいという意思に基づくものであり、強制認知は同じように子の側の意思に基づくものである。ただこの意思の具体的内容については「相続人とする」という意思が大きな部分を占めていることが多い。
近代諸国の法制は、血縁的要素を重視する傾向にあり、日本の民法でも養親子間には血縁があると擬制(ぎせい)したうえで親子関係を認めるなどの例にみられるように、「血縁なければ親子なし」という立場がとられている。近代親子法が「子のための親子法」に徹するためには、血の神秘から親子関係を解き放つことが求められる。
法律が親子関係を重大な問題としているのは、親子の間には多くの法律関係が生ずるからであり、とくに重要なものは、親子は相互に扶養義務と相続権を有し、親は未成年の子に対して親権を有することである。
民法上の子には、実親子と養親子とがある。民法(第4編第3章)はまず、この両者の親子関係の成立および消滅について規定し、ついで親子間に認められる効果のうち、もっとも重要な親権関係について規定している。
[山本正憲・野澤正充]
生来の嫡出子と準正による嫡出子とに区別される。
生来の嫡出子とは婚姻している夫婦間に生まれた子をいい、民法では、婚姻届を出してから200日以後、または夫が死んだ日や離婚した日から300日以内に生まれた子を夫の子と推定し、嫡出子とする(772条・773条)と規定されている。夫の病気療養中などに妻が妊娠し夫が嫡出子を自分の子でないと考えたときは、「嫡出否認の訴え」を起こして、嫡出であることを否認できる(民法774条・775条)。
[山本正憲・野澤正充]
嫡出以外の子、すなわち父母(夫婦)間に婚姻関係のなかった子で、非嫡出子ないし非嫡の子ともよばれる。内縁夫婦間に生まれた子などがそれである。かつて私生子とよばれていたが、この名称は民法改正で廃止された。「嫡出でない子」は、父が認知して初めて父と親子関係が生ずる(民法779条・790条2項)。父が認知しないときは、子は父に対して「認知請求の訴え」ができる。また、「父の認知した子」(廃止される以前は庶子(しょし)といった)は出生時にさかのぼって父と親子関係が成立しているものとされ、相続権も与えられるが、「嫡出でない子」という法律上の地位は変わらない。
「嫡出でない子」が嫡出子になることを準正といい、それには、婚姻準正と、認知準正とがある(同法789条)。
他人夫婦の子として届出されているとか、妻の生んだ子が夫の子でないなど、戸籍上あるいは法律上親子関係があるとされていても、その実子関係がない場合に、戸籍上だけの子と親や実際の父母との間に争いが起こったときには、利害関係者は、いつでも「親子関係不存在確認の訴え」を起こし、親子でないという審判さらには判決を受けることができる。
[山本正憲・野澤正充]
血のつながった実親子に対し、法定の親子関係をいい、法律上養親の嫡出子として取り扱われる。
[山本正憲・野澤正充]
『「家閑談」(『定本柳田国男集15』所収・1969・筑摩書房)』▽『川井健編『民法入門』第6版(2007・有斐閣)』
父母と子の関係を指すが,生みの親と子の血縁的な関係だけではなく,養親と養子,親分と子分,親方と子方の関係のように,法制上,習俗上親子関係が擬制される関係(擬制的親族関係)を指しても用いられる。
親子関係では,とくに血のつながりという自然的要素が強調されるが,いずれの社会でも,血のつながりがあればただちに社会的にも親子関係が発生するとされているわけではない。このことは早くからB.マリノフスキーら社会人類学者によって指摘されている。南太平洋のトロブリアンド諸島の原住民は,子の出生にあたっての父親が果たす役割を知らない。にもかかわらず,家族生活では,タマと呼ばれる男性が子どもにとっては母親の親しい人であり,愛情をこめて自分たちを養育してくれる男親であって,今日の父親のイメージと本質的には異ならない。彼らは父子間の血のつながりを知らないにもかかわらず,社会的な父親の存在を認めていることになる。このようなことのため,一般に,社会的な父親と自然的な父親が区別され,前者はペーターpater,後者はジェニターgenitorと呼ばれる。
今日の社会では,受胎から出生に至る自然のしくみを前提とするかぎり,自然的な親子関係と社会的な親子関係とは通常は一致する。また,今日の血縁に関する遺伝学上の観点からは,父子関係も母子関係と同一に考えられている。しかし,近時,少なくとも自然的な父子関係も,それぞれの社会における親子関係決定に関する規範によって社会的に決定されると主張し,父子間の血のつながりを当然視することに疑義をもつ説(フォックスR.Foxなど)も現れている。母子関係では,母親の,子を分娩し授乳するという行動により,自然的要素や依存関係が強く意識される。しかし,アメリカの心理学者ハーローH.F.Harlowは,実験室での子猿の実験により,子猿が,哺乳瓶を備えているが針金で作られた人工代用の母親より,柔らかい布で作られた授乳しない人工代用の母親に対して愛着を感じていることを明らかにした。母子関係でも,子に対する養育活動は社会的母が血のつながりとは区別されることを示し,父親の場合と同様に,それをマターmater,自然的な母親をジェニトリックスgenetrixと区別すべき余地があるともいわれる。
洋の東西をとわず,子の利益,福祉が家族,財産,親よりも優先され,第一義的に保護されるべきものと考えられるようになったのは,親子間の実態においても,また規範秩序にあっても,歴史の上では比較的最近のことで,とくに人権思想の発展をみてからである。
フランスの歴史の中での親子関係をみた場合に,中世以後,長子があととりとして予定された貴族階層以外の,一般民衆の親子関係の実態が,最近,アナール学派によって明らかにされた。それによれば,17世紀まで,子どもたちは親の手によって教育されたのではなく,7~8歳に達すると,村落共同体の中でおとなといっしょに生活し,働いたり,あるいは徒弟奉公に出されるなかで生活者としての教育を身につけるように仕向けられるか,軍隊や修道院に送り込まれ,生涯親もとに帰って来ない者もいた。ここでは,子どもがおとなと同様に働き,広義の手伝いという一定の社会的役割を果たすことが期待されていた。
17~18世紀に,親子間に顕著な変化が生じ,今日の親子に近いものになる。このころから,子どもはひとつの人格として尊重されはじめ,子どもの間で財産を均分する慣行が一般化し,小学校などの学校制度の発展により親は子どもを就学させ,子どもたちは家庭にとどまるようになる。生残りのための戦いという日常の営為から最初に解放され,19世紀には支配的な階層になったブルジョア階層の家庭での親子の感情の交流が親子関係のモデルとなり,家庭での子のしつけや家庭教育などが重要視されはじめ,近代的な親子関係が形成されていくのである。
日本の武家社会を中心に親子間の規範秩序を歴史的にみると,古くから儒教の影響が強い。8世紀初頭,律令の継受により中国思想の影響を受け,親子は同籍同財の密接な関係ではあるが,親には子の婚姻に対する同意権や教令懲戒権が広く認められ,子に対しては孝養の義務が課され,家父長制的規範秩序が形成されていた。その後,戦国分国法では領主権により親の権利に制約が加えられたこともあったが,近世の後半からは,再び儒教的家父長制原理が強化され,男尊女卑,嫡男子優先が顕著になった。さらに,幕藩領主の家長権保護政策により,親には強い懲戒権や勘当権,監禁権が認められたほか,非分ある子を殺害しても罪にはならなかった。武家社会の親子間の支配・服従関係を偏重する規範秩序が他の階層の親子に対して大きな影響を与えたことは疑いない。明治政府は,武家社会の儒教的家父長制規範秩序や,村落や都市をとわず広範囲に存在していた〈親子成り〉による擬制的親子関係の慣行の中で,とくに〈家〉制度の維持に重要な役割を果たすものを取り上げ,それを民法で立法化した。第2次大戦後,現行憲法の施行とともに,親子は対等独立の人格者どうしの関係として設定されたが,日本の社会組織においては社会的には親分子分関係,官僚組織などに象徴されるいわゆる〈タテ社会〉の特徴は失われていない。
現代家族法がモデルとしているのは夫婦と未成熟子からなる個別家族であり,現代の親子法はそのような親と未熟子の関係を規制の対象にする。親子法の理念はかつてのように〈家〉本位,親本位にあるのではなく,もっぱら子本位であり,子の福祉や利益の保護を目的とし,最大限にそれを尊重するところにある。このため,〈家〉本位,親本位の親子法が親子間の支配・服従を基軸にし,〈家〉の利益あるいは親の意思が優先したのに対して,現代の親子法では,親の未成熟子に対する監護教育が中心である。すなわち,親がつぎの世代を担う子どもに対して健全な心身の発達,向上をもたらす監護教育を果たす義務を負っており,親子法はこのような親の責任を強化する趣旨で,親権その他の規定を置いている。現代の親子法の特色としては,つぎの二つがある。(1)親子間では,親は子の独立,平等の人格を承認したうえで,子を監護教育する義務を負うのである。しかも,親子関係は家族構成員間の関係であるために,独立,平等といっても相互に権利・義務の対抗関係に立つのではなく,親の子に対する一方的な義務を中心にする。
(2)親子関係は生物学的な血縁関係を基礎にすることから,現代親子法も原則としてこの血縁主義の原理によっているし,また,学説,判例により血縁主義を貫徹させようとする解釈がなされている。たとえば,婚外子について,以前は,認知は意思表示であって,するしないは父親の自由であり,認知すれば,その効果として親子関係が形成されると解されていた。しかし,現在では,認知をもってすでに存在している親子の生物学的な血縁関係を法律の面で確定するものとされている。母子関係についても,今日では,認知をまたずに,分娩という生物学的事実によって当然に発生するとされる。今日の親子法において,意思的要素,社会的関係を排して,血縁主義をどこまで貫くことができるかは問題があるし,また,前述のように,親子関係は単なる生物学的関係ではなく,社会的関係であってみれば,血縁重視の考え方も反省を迫られるに違いない。
→子ども →親族
執筆者:有地 亨
日本における親子関係は多様な形式と内容をもっており,実の親子以外に日本人はさまざまなオヤとさまざまなコをもっている。オヤの種類から日本の親子をみれば,実親,義理の親,仮親(親分,親方)の三つがあった。実親は生みの親であり,親子関係の中心的な重要性をもつ親である。義理の親には,配偶者の父母であるシュウトオヤ,ママオヤと養子縁組による養父,養母がある。シュウトオヤについては実親と同等に扱われる場合とそうでない場合とがあり,とくに嫁の父母と聟との関係は,聟と聟の両親および嫁と聟の両親との関係に比べて低くみられることが多かった。同等に評価される例としては,婚姻の祝言において聟と嫁の両親および嫁と聟の両親とが等しくオヤコサカズキを交わす場合があり,これは両者のまったく同等の義理の親子関係の設定と考えられる。結婚後の聟家と嫁の実家との関係も対等性を特徴とすることが多い。これに対して聟の両親と嫁だけが祝言においてオヤコサカズキを交わす場合は,この関係だけに公式の義理の親子関係を設定して,嫁の里帰りのときに顔を合わすほどの関係であり,聟と嫁の両親との関係を低く評価するものである。この場合には結婚後も聟家が嫁の実家に対して優位に立ち,嫁の実家はさまざまな贈与をくり返す例が多い。とくに父性的傾向の強い日本の伝統的家族においては,夫の家に嫁入りした嫁と聟の両親との関係は実の親子とまったく同じとみなされる傾向があった。養子縁組にもとづく養父母との親子関係の新たなる設定は,法的親子関係の変更であり,日本では多くの場合家族集団の所属変更をともなうが,実の親との関係は結婚による姻戚関係に準ずる関係として継続される。
仮親(親分,親方)は従来親子関係にない家族外の人との間に出生,成人,結婚などにあたって,新たに親子関係に類似する関係を設定するものであって,名付親,拾い親,元服親,鉄漿(かね)親,仲人親,草鞋(わらじ)親などがある。仮親は実親では克服することのできないさまざまなコの劣位状況の克服のために設定されるものであって,日本では家族集団の変更をきたさないのが一般的である。仮親との親子関係は短期間の一時的なものもあるが,一生にわたって関係が継続するものも多い。日本の親子関係の特徴のひとつは,このような擬制的親子関係の多様性と重要性にある。
親子関係は本質的に顕著な対立関係を内包する関係であり,とくに父性的性格の濃厚な日本の伝統的家族においては父親と息子および嫁と姑の対立が著しい。父親と息子は財産相続と家長権継承をめぐる関係であり,嫁と姑は主婦権継承をめぐる関係であって,この事実と対立的関係との連関が強い。こうした対立関係は親子間の殺人によって最も顕在化する。親子関係の主要な機能は,親の子に対する養育に関連する〈しつけ〉と子の親に対する親孝行に関連すると思われる祖先祭祀であり,この二つは日本の家族の主要な機能ともなっている。
→親子成り →親分・子分
執筆者:上野 和男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…親子関係にない者が一定の手続を経て親子関係に類似した関係をとり結ぶことを一般に親子成りといい,親子成りによって成立する関係を仮の親子関係,親分・子分関係,擬制的親子関係,儀礼的親子関係などと一般的によんでいる。また,この関係における親を仮親という。…
…日本の古代社会では政治的,宗教的,社会的な意味で,ウジ(氏)やウジ連合共通の祖霊としてまつられたミオヤには御祖と当て字されもした。近世,近代にわたる日本の社会で,オヤとコという民俗語の示す生活組織は実に多様であって,漢字でそれに当てた親子という関係と,その擬制としての親分・子分として解するだけでは,近世日本の儒教や近代日本の政治イデオロギーないし欧米理論中心主義の学界風潮に毒されない,より深い日本文化=社会の実証的研究は達成されない。この観点が,柳田国男や有賀喜左衛門の,創造性に富んだ学風による多大な研究成果を生んだ。…
…子どもの第2の意味である,〈親に対する存在としての子ども〉は〈こ〉という言葉のより古いあり方を示していよう。親子という言葉は現在では実の親子あるいは生みの親子に限定されて使用されているが,本来はそのような狭い限定的な意味ではなかったというのが有名な柳田国男のオヤコ論である。勢子(せこ),網子(あご),水夫(かこ),友子(ともこ)などさまざまな〈子〉が示すように,子は本来労働組織の構成単位としての人間を意味するものであり,それに対する親は労働組織・経営組織の指揮統率者のことであった。…
…実子は,その父母が法律上の婚姻関係にあるか否かによって,嫡出子と〈嫡出でない子〉に分けられる。一般に,親子間では実子が基本として構成されたのは,血縁に対する信仰があり,血縁至上主義が貫かれたからである。しかし今日の医学の発達により,血縁そのもののもつ意味が大きく変わり,実子とはなにかが新たに問われようとしている。…
…親族組織は特定の先祖を共通にする人々を組織化した祖先中心的親族組織と,現在生きている特定の個人を中心に組織化した自己中心的親族組織に大別することができる。日本にはこの二つの親族組織がみられるが,親類はこのうちの自己中心的親族組織の一種である。親類はオヤコ,オヤグマキ,イトコ,シンルイマキ,シンルイ,シンセキ,ヤウチ,イッケ,ハロウジ,キョーデーなど地域によって多様な民俗語彙で指示され,その内容も地域によって多様である。…
※「親子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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