北庄里方村(読み)きたしようさとがたむら

日本歴史地名大系 「北庄里方村」の解説

北庄里方村
きたしようさとがたむら

[現在地名]久米南町里方(さとがた)

山之城(やまのじよう)村の西、誕生寺(たんじようじ)池(坪井池)の西方に位置する。浄土宗の古刹誕生寺があり、同宗開祖の法然の生誕地とされる。近世の津山往来筋にあたり、町場は見世(みせ)という地名として残る。南は南庄東(みなみしようひがし)村、西は北庄山手下(きたしようやまてしも)村。中世は稲岡(いなおか)庄のうち北庄に属したと思われ、戦国期の史料に北庄と記される。天正一九年(一五九一)とみられる四月一二日の浮田宗勝置文(美作古簡集)には、北庄原田氏に対して荒田を耕作すべきこと、逐電した者は引戻すべきことなどを申渡している。これより先と考えられる七月二一日付の松田彦次郎宛浦上宗景感状(松田文書)によれば、北庄表で合戦が行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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