日本歴史地名大系 「北有路村」の解説
北有路村
きたありじむら
古代・中世を通じて
近世には慶長検地郷村帳に高七三九・三九石「北有路村」と記され、土目録によれば高七四六・五八石のうち、田方は四三九・七五五石、畑方は三〇六・八二五石、運上のうちに鯉網運上一五匁、撫網運上銀四匁、鮭代銀四〇〇匁があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
古代・中世を通じて
近世には慶長検地郷村帳に高七三九・三九石「北有路村」と記され、土目録によれば高七四六・五八石のうち、田方は四三九・七五五石、畑方は三〇六・八二五石、運上のうちに鯉網運上一五匁、撫網運上銀四匁、鮭代銀四〇〇匁があった。
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