北条師時(読み)ほうじょう・もろとき

朝日日本歴史人物事典 「北条師時」の解説

北条師時

没年:応長1.9.22(1311.11.3)
生年建治1(1275)
鎌倉後期の幕府執権。北条宗政の子。弘安7(1284)年7月小侍所に就任,永仁1(1293)年6月19歳で評定衆・三番引付頭となり,正安3(1301)年8月,出家した貞時のあとをうけて10代執権となった。師時は貞時の女婿である。この師時の執権就任は,貞時の子高時が成人するまでの間の中継相続的な性格のものだったとみることができる。同年9月相模守。嘉元2(1304)年10月従四位下。応長1(1311)年9月22日出家(法名道覚),同日死去。一書には23日評定の座で死去したと伝えられている。<参考文献>福田豊彦「北条師時」(安田元久編『鎌倉将軍執権列伝』)

(新田英治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条師時」の解説

北条師時 ほうじょう-もろとき

1275-1311 鎌倉時代武将
建治(けんじ)元年生まれ。北条宗政(むねまさ)の子。母は北条政村(まさむら)の娘。長門(ながと)守護,小侍所,評定衆,引付頭人(ひきつけとうにん)をへて,正安(しょうあん)3年10代執権となる。応長元年9月22日出家,その日に評定の座で没したとつたえられる。西殿とよばれた。37歳。通称は武蔵四郎。法名は道覚。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android