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長保寺 ちょうほうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長保寺
ちょうほうじ

和歌山県海南市にある天台宗の寺。一条天皇勅願により長保2 (1000) 年の創建といわれる。現存の伽藍は鎌倉時代末期~南北朝時代建造。本堂 (1311) は中世密教本堂の標準的な建築で,禅宗様の手法を交える。多宝塔は鎌倉末期の建造で純和様,つり合いのとれた安定した姿をもち,大門 (1388) は中世の代表的楼門。本堂,多宝塔,大門は国宝。

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百科事典マイペディアの解説

長保寺【ちょうほうじ】

和歌山県下津(しもつ)町(現・海南市)にある天台宗の寺。1000年一条天皇の勅願所として造営が始まり,1017年完成。開基性空(しょうくう)。不断念仏(ふだんねんぶつ)を行い,鎌倉末から南北朝期に寺勢を伸ばし,このころ建立された本堂・多宝塔・大門は国宝。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうほうじ【長保寺】

和歌山県海草郡下津町にある天台宗の寺。山号は慶徳山。一条天皇の勅願所として,1000年(長保2)に造営がはじまり,17年(寛仁1)に完成,開基は性空と伝える。1128年(大治3)には不断念仏を始めて,浄土教の発展にともない,鎌倉末期から南北朝時代にかけて寺運は隆盛した。国宝に指定されている本堂,多宝塔,大門はこのころの建築である。当初は天台宗であったが,のち真言宗にかわり,さらに1666年(寛文6)徳川頼宣(よりのぶ)が伽藍を整備し,寺領500石を与えて菩提所と定めて以来,天台宗に復した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長保寺
ちょうほうじ

和歌山県海南市下津(しもつ)町にある天台宗の寺。慶徳山(けいとくさん)と号する。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1000年(長保2)一条(いちじょう)天皇の勅願により、書写(しょしゃ)山円教寺の開創者、天台の性空(しょうくう)(910―1007)が創建したと伝える。応永(おうえい)年間(1394~1428)真言(しんごん)宗に転宗したころ栄え、七堂伽藍(がらん)が並び子院12坊を数えたという。しだいに衰微したが、紀州藩祖徳川頼宣(よりのぶ)(1602―71)が再興、紀州徳川家の菩提寺(ぼだいじ)とし、天台宗に改宗して輪王寺(りんのうじ)末とした。5代吉宗(よしむね)、13代慶福(よしとみ)(家茂(いえもち))を除き、初代から17代頼韶(よりあき)までの墓、奥方の墓、供養(くよう)塔や多くの石灯籠(いしどうろう)がある。1388年(元中5・嘉慶2)建立の大門、1311年(応長1)建立と伝える本堂、鎌倉後期の多宝塔は国宝に、1311年建立の鎮守堂および鎌倉後期の絹本着色仏涅槃(ぶつねはん)図は国の重要文化財に指定されている。境内に歴史民俗資料館がある。[田村晃祐]

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世界大百科事典内の長保寺の言及

【下津[町]】より

…また古くからミカンの産地として知られ,山の斜面はミカン畑でおおわれている。紀伊徳川家の菩提寺長保寺があり,大門,本堂,多宝塔は国宝に指定されている。ほかに善福院釈迦堂(国宝),地蔵峰寺本堂,三郷八幡神社本殿など文化財が多い。…

※「長保寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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