長保寺(読み)ちょうほうじ

精選版 日本国語大辞典 「長保寺」の意味・読み・例文・類語

ちょうほう‐じチャウホウ‥【長保寺】

  1. 和歌山県海南市にある天台宗の寺。山号は慶徳山。長保年間(九九九‐一〇〇四)性空が創建。寛文一一年(一六七一徳川頼宣の墓所となって以来、紀州徳川家菩提所本堂釈迦堂多宝塔、大門は国宝

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日本歴史地名大系 「長保寺」の解説

長保寺
ちようほうじ

[現在地名]下津町上

白倉しらくら山の南西麓、小畑こばた川に沿う道沿いの小高い所に南面して建つ。天台宗で慶徳山と号し、本尊釈迦如来。紀州徳川家墓所として知られる。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔草創・沿革〕

長保寺記録抜書(下津町史)によれば、一条天皇勅願所として長保二年(一〇〇〇)に造営が始まり、寛仁元年(一〇一七)に完成したという。本尊の釈迦如来も定朝の作とする。寺伝は別にしても、近衛家領であった浜中はまなか荘の中心地に平安時代に創建されたことは十分に考えられる。寺伝は慈覚大師円仁の門徒性空の開基としている。性空は播磨の書写山円教えんきよう(現兵庫県姫路市)の開基で知られるが、寛弘四年(一〇〇七)に没しているから長保二年には七三歳である。宗派については前掲長保寺記録抜書に「長保寺宗門根本天台宗、其後法相宗、其後天台宗、其後応永之時ヨリ真言宗、去年ヨリ天台宗帰入仕候」とある。また天正一五年(一五八七)書写とある応永二四年(一四一七)の長保寺縁起(下津町史)には「夫当寺者真言秘宗弘博之霊地」と冒頭にあり、応永より真言宗という伝承を裏付ける。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「長保寺」の意味・わかりやすい解説

長保寺
ちょうほうじ

和歌山県海南市下津(しもつ)町にある天台宗の寺。慶徳山(けいとくさん)と号する。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1000年(長保2)一条(いちじょう)天皇の勅願により、書写(しょしゃ)山円教寺の開創者、天台の性空(しょうくう)(910―1007)が創建したと伝える。応永(おうえい)年間(1394~1428)真言(しんごん)宗に転宗したころ栄え、七堂伽藍(がらん)が並び子院12坊を数えたという。しだいに衰微したが、紀州藩祖徳川頼宣(よりのぶ)(1602―71)が再興、紀州徳川家の菩提寺(ぼだいじ)とし、天台宗に改宗して輪王寺(りんのうじ)末とした。5代吉宗(よしむね)、13代慶福(よしとみ)(家茂(いえもち))を除き、初代から17代頼韶(よりあき)までの墓、奥方の墓、供養(くよう)塔や多くの石灯籠(いしどうろう)がある。1388年(元中5・嘉慶2)建立の大門、1311年(応長1)建立と伝える本堂、鎌倉後期の多宝塔は国宝に、1311年建立の鎮守堂および鎌倉後期の絹本着色仏涅槃(ぶつねはん)図は国の重要文化財に指定されている。境内に歴史民俗資料館がある。

[田村晃祐]

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改訂新版 世界大百科事典 「長保寺」の意味・わかりやすい解説

長保寺 (ちょうほうじ)

和歌山県海南市の旧下津町にある天台宗の寺。山号は慶徳山。一条天皇の勅願所として,1000年(長保2)に造営がはじまり,17年(寛仁1)に完成,開基は性空と伝える。1128年(大治3)には不断念仏を始めて,浄土教の発展にともない,鎌倉末期から南北朝時代にかけて寺運は隆盛した。国宝に指定されている本堂,多宝塔,大門はこのころの建築である。当初は天台宗であったが,のち真言宗にかわり,さらに1666年(寛文6)徳川頼宣(よりのぶ)が伽藍を整備し,寺領500石を与えて菩提所と定めて以来,天台宗に復した。頼宣をはじめ歴代紀州藩主の墓がある。寺宝に絹本著色仏涅槃図(重要文化財)などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長保寺」の意味・わかりやすい解説

長保寺
ちょうほうじ

和歌山県海南市にある天台宗の寺。一条天皇の勅願により長保2 (1000) 年の創建といわれる。現存の伽藍は鎌倉時代末期~南北朝時代の建造。本堂 (1311) は中世密教本堂の標準的な建築で,禅宗様の手法を交える。多宝塔は鎌倉末期の建造で純和様,つり合いのとれた安定した姿をもち,大門 (1388) は中世の代表的楼門。本堂,多宝塔,大門は国宝。

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百科事典マイペディア 「長保寺」の意味・わかりやすい解説

長保寺【ちょうほうじ】

和歌山県下津(しもつ)町(現・海南市)にある天台宗の寺。1000年一条天皇の勅願所として造営が始まり,1017年完成。開基性空(しょうくう)。不断念仏(ふだんねんぶつ)を行い,鎌倉末から南北朝期に寺勢を伸ばし,このころ建立された本堂・多宝塔・大門は国宝。途中真言宗に転じていたが,1666年徳川頼宣(よりのぶ)が寺領500石を与えて菩提所として以来天台宗に復した。頼宣ほか歴代和歌山藩主の墓がある。絹本着色仏涅槃図は重要文化財。

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デジタル大辞泉プラス 「長保寺」の解説

長保寺

和歌山県海南市にある天台宗の寺院。1000年、一条天皇の勅願により創建と伝わる。鎌倉時代後期から室町時代前期に建てられた本堂、大門、多宝塔は国宝。江戸時代は紀州徳川家の菩提寺で、多くの廟所がある。

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世界大百科事典(旧版)内の長保寺の言及

【下津[町]】より

…また古くからミカンの産地として知られ,山の斜面はミカン畑でおおわれている。紀伊徳川家の菩提寺長保寺があり,大門,本堂,多宝塔は国宝に指定されている。ほかに善福院釈迦堂(国宝),地蔵峰寺本堂,三郷八幡神社本殿など文化財が多い。…

※「長保寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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