長保寺記録抜書(下津町史)によれば、一条天皇の勅願所として長保二年(一〇〇〇)に造営が始まり、寛仁元年(一〇一七)に完成したという。本尊の釈迦如来も定朝の作とする。寺伝は別にしても、近衛家領であった
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和歌山県海南市下津(しもつ)町にある天台宗の寺。慶徳山(けいとくさん)と号する。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1000年(長保2)一条(いちじょう)天皇の勅願により、書写(しょしゃ)山円教寺の開創者、天台の性空(しょうくう)(910―1007)が創建したと伝える。応永(おうえい)年間(1394~1428)真言(しんごん)宗に転宗したころ栄え、七堂伽藍(がらん)が並び子院12坊を数えたという。しだいに衰微したが、紀州藩祖徳川頼宣(よりのぶ)(1602―71)が再興、紀州徳川家の菩提寺(ぼだいじ)とし、天台宗に改宗して輪王寺(りんのうじ)末とした。5代吉宗(よしむね)、13代慶福(よしとみ)(家茂(いえもち))を除き、初代から17代頼韶(よりあき)までの墓、奥方の墓、供養(くよう)塔や多くの石灯籠(いしどうろう)がある。1388年(元中5・嘉慶2)建立の大門、1311年(応長1)建立と伝える本堂、鎌倉後期の多宝塔は国宝に、1311年建立の鎮守堂および鎌倉後期の絹本着色仏涅槃(ぶつねはん)図は国の重要文化財に指定されている。境内に歴史民俗資料館がある。
[田村晃祐]
和歌山県海南市の旧下津町にある天台宗の寺。山号は慶徳山。一条天皇の勅願所として,1000年(長保2)に造営がはじまり,17年(寛仁1)に完成,開基は性空と伝える。1128年(大治3)には不断念仏を始めて,浄土教の発展にともない,鎌倉末期から南北朝時代にかけて寺運は隆盛した。国宝に指定されている本堂,多宝塔,大門はこのころの建築である。当初は天台宗であったが,のち真言宗にかわり,さらに1666年(寛文6)徳川頼宣(よりのぶ)が伽藍を整備し,寺領500石を与えて菩提所と定めて以来,天台宗に復した。頼宣をはじめ歴代紀州藩主の墓がある。寺宝に絹本著色仏涅槃図(重要文化財)などがある。
執筆者:中井 真孝
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…また古くからミカンの産地として知られ,山の斜面はミカン畑でおおわれている。紀伊徳川家の菩提寺長保寺があり,大門,本堂,多宝塔は国宝に指定されている。ほかに善福院釈迦堂(国宝),地蔵峰寺本堂,三郷八幡神社本殿など文化財が多い。…
※「長保寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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