(森幸夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
鎌倉幕府第7代執権。父は義時(よしとき)。母は伊賀朝光(いがともみつ)の女(むすめ)。1224年(元仁1)義時の重病を機に、母と母の兄光宗とが、将軍九条頼経(よりつね)を廃して源頼朝(よりとも)の甥(おい)の参議藤原実雅(さねまさ)を将軍にたて、政村を執権とする陰謀を企てた。しかしこれは事前に発覚し、政村もこれに連座するところであったが、異母兄泰時(やすとき)の配慮によって厚免(こうめん)された。1230年(寛喜2)正月常陸大掾(ひたちのだいじょう)、以後、式部少丞(しきぶしょうじょう)、右馬助(うまのすけ)、右馬権頭(ごんのかみ)に任ぜられる。39年(延応1)評定衆(ひょうじょうしゅう)に列し、49年(建長1)12月引付頭人(ひきつけとうにん)、56年(康元1)3月連署(れんしょ)となる。同年4月陸奥守(むつのかみ)に補任(ぶにん)、翌年5月越後(えちご)の国務を賜い、同年6月相模(さがみ)守に任ぜられる。64年(文永1)8月執権となるが、68年3月に、成長した時宗(ときむね)に執権を譲りふたたび連署となる。73年5月18日出家、覚崇(かくすう)と号したが、同月27日69歳で没した。政村は和歌にも優れ、1251年(建長3)2月常盤(ときわ)の別業(べつぎょう)で和歌会を催し、勅撰(ちょくせん)集には37首が収められている。
[菊池紳一]
鎌倉幕府の執権。義時の子。母は伊賀朝光の女。1224年(元仁1)伊賀光宗らは政村を執権に立て権力を握ろうと謀って失敗したが,累は政村に及ばなかった。成長して評定衆,引付頭人,連署という幕府の要職を歴任。64年(文永1)長時の死後,執権の座につく。66年将軍宗尊(むねたか)親王を廃す微妙な政局を乗りきって,68年嫡流時宗に執権職を返し,再び連署。73年出家,法名覚崇。
執筆者:青山 幹哉
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1205.6.22~73.5.27
鎌倉中期の幕府執権。父は義時,母は伊賀朝光の女。陸奥四郎と称する。1224年(元仁元)義時の死後,母方の伊賀氏により次期執権に担ぎだされたが阻止され,兄泰時が執権についた。56年(康元元)連署となる。64年(文永元)北条時宗が幼少のため執権となるが,68年には時宗に執権を譲り,みずからは連署に戻って補佐した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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