デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条時国」の解説 北条時国 ほうじょう-ときくに ?-1284 鎌倉時代の武将。左近衛将監(さこんえのしょうげん)。建治(けんじ)元年六波羅(ろくはら)探題南方となる。弘安(こうあん)7年鎌倉によびもどされて常陸(ひたち)(茨城県)伊佐郡に流され,同年10月3日殺された。8代執権北条時宗(ときむね)の急死との関連を指摘する説もある。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「北条時国」の解説 北条時国 没年:弘安7.10.3(1284.11.11) 生年:弘長3(1263) 鎌倉中期の六波羅探題。時員の子。左近将監。建治1(1275)年祖父時盛と共に上洛し,同3年六波羅探題南方に就任。弘安7(1284)年鎌倉に呼び戻され,常陸に配流,誅殺された。同年の北条時宗の死との関連が推測される。 (森幸夫) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by