鎌倉幕府の執権。時宗の子,母は安達泰盛の妹。幼名幸寿。1284年(弘安7)父の死により14歳で執権となる。初め安達泰盛の主導によって政治改革が推進されたが,貞時の乳父平頼綱ら得宗被官(御内人)は貞時を動かして85年泰盛派を粛清した(弘安合戦)。以後,内管領平頼綱のもとで御内人(みうちびと)による支配が公然化する。93年(永仁1)貞時は自己の立場を脅かす平頼綱を誅殺(平禅門の乱)。貞時は貨幣経済の進展に伴い窮乏化する御家人の保護をはかり97年(永仁5)徳政令を発する一方,引付,越訴方をいったん廃止して独裁権力を行使した。幕制の要職に御内人を浸透させ,一族を全国の守護に配置し,交通の要衝を支配して流通機能を掌握した貞時は,得宗の専制体制を完成させたといえよう。1301年(正安3)執権を女婿北条師時に譲り出家したが(法名崇演,最勝園寺と称す),依然,幕政を指導した。
執筆者:青山 幹哉
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鎌倉幕府第9代執権。父は北条時宗(ときむね)。母は安達義景(あだちよしかげ)の女(むすめ)。文永(ぶんえい)8年12月12日生まれ。幼名幸寿。77年(建治3)元服し、84年(弘安7)父の死により若年にして執権となり、88年(正応1)以後評定(ひょうじょう)に出仕した。その間左馬権頭(さまごんのかみ)、相模守(さがみのかみ)に任ぜられた。85年霜月(しもつき)騒動により外戚(がいせき)安達泰盛(やすもり)が滅亡したのち、内管領(うちかんれい)平頼綱(よりつな)が権勢を振るっていたが、貞時は93年(永仁1)頼綱を誅(ちゅう)して政務を親裁し、97年永仁(えいにん)の徳政令を発布し、越訴(おっそ)(訴訟の再審制)を廃止するなど強力な政策を打ち出した。1301年(正安3)執権を一族の師時(もろとき)に譲り出家した(法名崇暁(すうぎょう)、のち崇演(すうえん))が、得宗(とくそう)(北条氏家督)として政治の実権を掌握した。応長(おうちょう)元年10月26日没した。
[近藤成一]
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1271~1311.10.26
鎌倉後期の幕府執権。父は時宗,母は安達泰盛の妹(女とする説もある)。1284年(弘安7)時宗の死により執権となる。北条氏の家督である得宗として被官の最有力者平頼綱(よりつな)と,外戚で有力御家人の安達泰盛(やすもり)に支えられ,得宗専制体制を確立した。97年(永仁5)徳政令を発した。1301年(正安3)執権を退き出家。その後も得宗として政務を主導した。
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