朝日日本歴史人物事典 「北条煕時」の解説
北条煕時
生年:弘安2(1279)
鎌倉末期の幕府執権。為時の子。妻は北条貞時の娘。初名貞泰。右馬権頭,武蔵守,相模守を歴任。永仁3(1295)年引付衆に加えられ,同6年小侍所,正安3(1301)年評定衆・引付頭人となる。嘉元3(1305)年祖父の連署時村が侍所所司の北条宗方に暗殺されたとき,煕時も命を狙われた。延慶2(1309)年寄合衆。応長1(1311)年連署となり,翌年12代執権に就任した。死去まで約3年間在職したが実権はなく,幕政は内管領長崎円喜・高資父子らによって掌握されていた。勅撰集に4首入集している。<参考文献>安田元久編『鎌倉将軍執権列伝』
(森幸夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報