コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

北条義政 ほうじょう よしまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北条義政 ほうじょう-よしまさ

1242-1282* 鎌倉時代の武将。
仁治(にんじ)3年生まれ。北条重時の子。引付(ひきつけ)衆,評定衆をへて文永10年連署。執権北条時宗(ときむね)をたすけ文永の役の難局にあたる。建治(けんじ)3年出家,信濃(しなの)(長野県)善光寺にもうで自領の塩田荘に隠退した。「続拾遺和歌集」などに和歌がある。弘安(こうあん)4年11月27日死去。40歳。初名は時景(量)。通称は陸奥四(六)郎,塩田殿。法名は政(道)義。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

北条義政

没年:弘安4.11.27(1282.1.8)
生年:仁治3(1242)
鎌倉中期の幕府の連署。北条重時の子。初名時景(または時量)。早くから 廂衆・昼番衆(鎌倉幕府の将軍御所内の番役)として6代将軍宗尊親王に近侍し,正元1(1259)年左近将監,従五位下となった。文永2(1265)年引付衆,同4年評定衆などを歴任したのち,同10年執権北条時宗の連署となり,次いで武蔵守に任じ,文永の役(1274)の際には時宗を補佐して危機を乗り切った。建治3(1277)年4月病のため連署を辞して出家(法名道義,政義とも),信濃(長野県)善光寺に詣で,同国塩田庄に退隠,同地で没した。北条氏塩田流の祖。歌人としても知られ,『続拾遺和歌集』などに詠歌が収められている。

(新田英治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ほうじょうよしまさ【北条義政】

1242‐81(仁治3‐弘安4)
鎌倉中期の武将。重時の子。同母姉妹は安達泰盛の妻。初名時量。1265年(文永2)引付衆,67年評定衆,73年連署と幕府の要職を占める。77年(建治3)病により出家,のち信濃善光寺へ遁世した。幕府内で対立する安達泰盛,平頼綱両派の間で苦しい立場にあったと思われる。信濃塩田荘に籠居したまま,81年没した。《続古今和歌集》などに和歌が収載されている。【青山 幹哉】

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

北条義政の関連キーワード塩田義政鎌倉時代塩田城