北条義政(読み)ほうじょうよしまさ

改訂新版 世界大百科事典 「北条義政」の意味・わかりやすい解説

北条義政 (ほうじょうよしまさ)
生没年:1242-81(仁治3-弘安4)

鎌倉中期の武将。重時の子。同母姉妹は安達泰盛の妻。初名時量。1265年(文永2)引付衆,67年評定衆,73年連署と幕府要職を占める。77年(建治3)病により出家,のち信濃善光寺へ遁世した。幕府内で対立する安達泰盛,平頼綱両派の間で苦しい立場にあったと思われる。信濃塩田荘に籠居したまま,81年没した。《続古今和歌集》などに和歌が収載されている。
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関連語 青山

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条義政」の解説

北条義政 ほうじょう-よしまさ

1242-1282* 鎌倉時代の武将。
仁治(にんじ)3年生まれ。北条重時の子。引付(ひきつけ)衆,評定衆をへて文永10年連署。執権北条時宗(ときむね)をたすけ文永の役の難局にあたる。建治(けんじ)3年出家,信濃(しなの)(長野県)善光寺にもうで自領の塩田荘に隠退した。「続拾遺和歌集」などに和歌がある。弘安(こうあん)4年11月27日死去。40歳。初名は時景(量)。通称は陸奥四(六)郎,塩田殿。法名は政(道)義。

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