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北楯利長 きただて としなが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北楯利長 きただて-としなが

1548-1625 織豊-江戸時代前期の武士。
天文(てんぶん)17年生まれ。出羽(でわ)山形藩主最上義光(もがみ-よしあき)の家臣。慶長6年田川郡狩川城代となる。17年清川山をきりひらき立谷沢(たちやざわ)川の水を田川郡北辺にひく北楯大堰(おおぜき)を完成させ,約4200haの灌漑を可能にした。寛永2年7月20日死去。78歳。通称は大学。姓は北館ともかく。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

北楯利長

没年:寛永2.7.20(1625.8.22)
生年:天文17(1548)
安土桃山・江戸初期の武将。用水開発者。姓は北館とも書く。出羽国山形城主最上義光の家臣。通称大学。慶長6(1601)年,最上義光は関ケ原戦の論功により,庄内3郡を領有することとなり,利長は庄内狩川城主として狩川,清川,立谷沢3000石を与えられた。利長はこの地方の水利不良を憂い,庄内・由利郡から7400人の人夫を徴発し,慶長17年,北楯大堰を開削。用水は総延長約45km,これにより新田村18カ村を起こし,88カ村の水利の便を図り,最上川南岸開発に大きな役割を果たした。利長はその功績で300石加増された。<参考文献>誉田慶恩著『奥羽の驍将最上義光』

(横山昭男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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