朝日日本歴史人物事典 「北楯利長」の解説
北楯利長
生年:天文17(1548)
安土桃山・江戸初期の武将。用水開発者。姓は北館とも書く。出羽国山形城主最上義光の家臣。通称大学。慶長6(1601)年,最上義光は関ケ原戦の論功により,庄内3郡を領有することとなり,利長は庄内狩川城主として狩川,清川,立谷沢3000石を与えられた。利長はこの地方の水利不良を憂い,庄内・由利郡から7400人の人夫を徴発し,慶長17年,北楯大堰を開削。用水は総延長約45km,これにより新田村18カ村を起こし,88カ村の水利の便を図り,最上川南岸開発に大きな役割を果たした。利長はその功績で300石加増された。<参考文献>誉田慶恩著『奥羽の驍将最上義光』
(横山昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報