北楯利長(読み)きただて としなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北楯利長」の解説

北楯利長 きただて-としなが

1548-1625 織豊-江戸時代前期の武士
天文(てんぶん)17年生まれ。出羽(でわ)山形藩主最上義光(もがみ-よしあき)の家臣。慶長6年田川郡狩川城代となる。17年清川山をきりひらき立谷沢(たちやざわ)川の水を田川郡北辺にひく北楯大堰(おおぜき)を完成させ,約4200haの灌漑を可能にした。寛永2年7月20日死去。78歳。通称大学。姓は北館ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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