20世紀日本人名事典 「北沢恒彦」の解説 北沢 恒彦キタザワ ツネヒコ 昭和・平成期の評論家,経営コンサルタント 生年昭和9(1934)年4月22日 没年平成11(1999)年11月22日 出生地京都府京都市 学歴〔年〕同志社大学法学部〔昭和35年〕卒,大阪市立大学大学院経済学研究科(社会人コース)〔昭和62年〕修士課程修了 経歴鴨沂高の頃より、朝鮮戦争反対などの学生運動に身を投ずる。卒業後、製パン業の老舗・進々堂に入社し、労働争議を経験。昭和37年に京都市役所に入り、41年から市中小企業指導所に勤務。市内の商人と接して商業地図をつくり、各地区の実態調査に携わるかたわら、平和運動も続け、42年まで京都ベ平連事務局長を務めた。著書に「方法としての現場」「自分の町で生きるには」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北沢恒彦」の解説 北沢恒彦 きたざわ-つねひこ 1934-1999 昭和後期-平成時代の市民運動家。昭和9年4月22日生まれ。昭和37年京都市役所にはいり,中小企業指導所で中小企業の経営改善,労働条件の改善につとめる。思想の科学研究会のなかに「家の会」を創立し,日本の家制度を研究。京都ベ平連事務局長もつとめた。平成11年死去。65歳。京都出身。同志社大卒。著作に「方法としての現場」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by