北温湯村(読み)きたぬるゆむら

日本歴史地名大系 「北温湯村」の解説

北温湯村
きたぬるゆむら

[現在地名]湯布院町川上かわかみ 湯坪ゆのつぼ岳本たけもと中島なかしま

正徳二年(一七一二)温湯村が南北に二分されて成立。安永九年(一七八〇)の温湯村(北温湯村)明細帳(溝口家文書)によると高五六石余。出湯が三ヵ所あり、うち一ヵ所は疝気筋などの薬湯に利用されていた。竈数三六(社家一・百姓三三・小庵二)・人数一一六、牛一三・馬五。また作間稼の染屋が一軒あった。「自池、但長七拾弐間、横弐拾八間」とある池は、後述の金鱗きんりん湖のことである。この池は延宝二年(一六七四)代官山田清左衛門のとき池尻川筋を掘割したので湖水が減り、池の周りに少々新田ができたとある。「豊後国志」によると土産として「魚、由布郷温湯村出、大者皆尺余、味美、類于琵琶湖魚」とある。なお当村の八ッ川宇兵衛は速見郡で蜜汁の仲買をし、冥加銀として蜜一〇貫目につき銀四分ずつを文政年間(一八一八―三〇)から年々納めていた(「公私日記」県立大分図書館蔵)。旧高旧領取調帳によると北温湯村の高五八石余。三ヵ所の出湯のうち一ヵ所は「湯之坪」(現湯布院温泉)で、延享五年(一七四八)の速見郡五ヶ村温泉書上帳(内藤家文書)に「近来薬湯ニ相成候沙汰世上ニ相響申候、(中略)只今ニ而ハ年中二拾人内外も湯治之泊リ客可有御座哉、(中略)近所之者ハ毎日日帰リ湯治仕候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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