一般には問屋(といや)と小売店の中間にあって問屋から仕入れた荷を小口にして販売する中間商人をいう。問屋どうしの取引の際,中間に立って売買契約を取り次ぎ,自分の意思での売り買いはせず在庫ももたないブローカーをも含める。ブローカーは仲立人(なかだちにん),仲介人(ちゆうかいにん)とも呼ばれる。
法定商品市場の商品取引所では商品取引員の旧称である商品仲買人の略称,また卸売市場では仲卸業者の通称。商品取引所の商品取引員は商品取引所法で定める会員のうち〈売買の媒介,取次ぎもしくは代理(商品市場での売買取引の取次ぎを含む)〉者という規定に当てはまる仲買業者である。そのうち主として会員以外の売買を市場に取り次ぐ業者を専業商品取引員という。欧米の商品取引所で専業取引員に当たるのはコミッション・ハウスcommission houseで,受託・仲介業務を中心にしている。
卸売市場では原則として〈せり〉か入札で卸売人が仲卸業者か売買参加の権利をもつ大型小売,料亭などに売り渡す。仲卸人は卸売人から仕入れた荷を売買参加権をもたない小売店などに相対で分荷,販売する,いわゆる仲買業務を受け持つ。
執筆者:米良 周
中世前期には手工業者の生産と販売は分離しないものが多く,隔地間商人も,仕入れ,運送,売却を兼ねるものが多かった。仲買が成立するのは室町初期ごろからで,大和の矢木に成立した胡麻仲買座の1405年(応永12)の史料が初見である。これは農家から売りに出される油原料の荏胡麻(えごま)を買い集めて,大和の方々に出現した油シボリの座に売り歩くものであった。これとは別に,〈すあい〉と呼ばれる仲買商人がいた。《七十一番職人歌合》では女の姿で描かれているが,素手で商品取引を行い,仲介料を取るものであり,牙儈,才取,牙婆,女商,牙儈女などと書く。越前南条郡の浦山内馬借は〈すわひ付の荷〉を扱わない旨の規約を結んでいる(〈西野文書〉)。さらに仲買料,手数料をすあいと称するようになり,近世では,問屋と仲買,小売または生産者との間の少量取引の仲買人をすあいという。
執筆者:脇田 晴子 近世の商品流通の中枢には問屋,仲買があったが,その業態は一律ではなく,業種別,地域別に具体的に見きわめる必要があるが,おおまかに概観すると,(1)問屋,仲買の関係がはっきり区別されるものと,(2)区別しにくいもの,に分けうるであろう。近世商業流通の全国的中心である大坂を例にとると,(1)の区別される業種にも2種ある。(a)問屋が荷主から委託をうけるか買い取るかして商品を受け取り,仲買に売り,仲買はこれを他国商人や小売人に売り渡す場合。この場合問屋は市内の需要者または他国商人に直接販売することはできなかったし,仲買は直接荷主から買うことはできなかった。この取引は海路輸送してくる商品に多く,だいたい米,雑穀,薪炭,砂糖,塩,油,生魚,干魚,塩魚,鰹節,材木,竹,鉄,漆,薬種などの業種であった。(b)問屋が他国荷主および仲買より買い取って加工し,これを他国および小売人へ売り渡す場合で,糠(ぬか),綿などの業種がこれであった。この場合,仲買は市内および近国の生産者から買い集め,これを問屋に売り渡したのである。(2)の問屋,仲買の区別がはっきりしない業態にも2種あった。(a)加工問屋の場合で,これは雇用した職人や自営の職人に加工させた商品を他国および市内の需要者に販売した。この場合は仲買は介在しなかった。(b)問屋が他国および生産者より商品を買い入れ,これを仲買,小売および他国へ売りさばく場合であって,呉服,木綿織などの取引はこれであった。仲買が介在した場合もあったが,それは資力が不十分のため自分の計算において独立の業として営むことは困難で,牙儈に属すべきものであった。なお京都の絹織物取引の上(かみ)仲買は通常の仲買で生産者と問屋の間に介在し,下(しも)仲買は西陣織および他国の織物を取引する問屋であった。
明治維新以後,問屋,仲買の境界が乱れた。1880年4月の営業税則は,会社,卸売,仲買,小売の区別を設け,問屋は卸売の部に入ることになった。それ以来,卸売は従来の問屋,仲買をまとめて称することとなり,仲買の名称は牙儈,才取などを意味するようになった。90年公布の旧商法(1893施行)では,委託販売の問屋の業務は仲買と規定されていたが(456条),99年公布(1900施行)の新商法ではこれを問屋営業と規定しなおした(313条)。なお,今日でも仲買という言葉は日常的に使われるが,卸売市場法(1971公布)では仲卸業者と呼ばれる(〈卸売市場〉の項目参照)。
執筆者:安岡 重明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
商品流通機構において荷主・問屋と小売商,または生産者と問屋の間を仲介した商人。室町時代には牙儈(すあい)とよばれた。江戸時代の市場機構の整備にともない,小売商の注文を受けて問屋から商品を仕入れたり,問屋の依頼を受けて生産者の間を回って商品を買い集める商人を称するようになった。その業態は商品の種類によってさまざまであり,通常は問屋に比べて営業規模が小さく,その支配下におかれる場合が多かったが,特定の商品を専門に扱い,自己資本で仕入れを行うことから仕入問屋に成長する業種もあり,問屋仲間に対抗して仲買仲間が形成された。近代以降は問屋との区別が明確でなくなり,卸商・卸仲買商・卸問屋とよばれるようになった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…(3)1868年(明治1)〈商法大意〉を発布して,自由取引の原則を宣言した。以上の諸変化にもかかわらず,江戸期以来の問屋,仲買,小売などの商人仲間は,自分たちの権益を守るためにアウトサイダーの同業仲間への加入を制限したり,部外者が同業を営むのを妨害したりした。もっとも部外者のなかには粗悪品を売ったり,商取引ルールを破ったりする者もいて,同業者や消費者に迷惑をかけたりする場合があったので,同業者仲間(組合)も取引を円滑にする効用があった。…
…これらの商人は蔵元,両替商,米商,呉服商,木綿問屋,油問屋,海運業などの専門の職種を基本としたが,大規模になると兼業となった場合が多かった。 諸地方から多種類の商品の販売を委託されて,各商品をそれぞれ専門の問屋,仲買へ売りさばき,口銭を取ったのは荷受問屋であった。都市によっては万(よろず)問屋とか,大問屋といわれた。…
…都市の性格の違いによって問屋の種類や機能は多様であったし,時代とともにその性格も変化した。
[問屋の種類]
生産地には買集問屋,荷積問屋,船持などがあり,集散地には荷受問屋があり,さらに荷受問屋から商品を引き受け,小売人に売り渡す仲買がいた。仲買は他地方の商人に対して大量の商品を運送することがあった。…
※「仲買」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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