北蓮(読み)きたはちす

日本歴史地名大系 「北蓮」の解説

北蓮
きたはちす

[現在地名]飯山市大字蓮

蓮村内の古地名。応永七年(一四〇〇)六月の小笠原長秀安堵(市河文書)に「静妻郷内北蓮」とみえる。はざまの谷を穿入蛇行した千曲川は蓮村上組かみぐみで東に向きをかえて飯山盆地南端、中野平北端の平地を流れ、高社こうしや山麓で再び転じて北流する。上組の北、中組なかぐみ山根やまね五位野ごいの付近が北蓮である。対岸田上たがみ(現中野市)

山根の字五里久保に多数の五輪と円墳二基があり、縄文以来の遺跡でもある。中組は中州状の字古屋敷ふるやしきから水害のため山手の現地へ移ったと言い伝える。古屋敷に五輪があり、川幅広く、対岸の田上徒渉も可能である。

小県ちいさがた郡で東山道より分岐し千曲川右岸を北行した古道は田上・古屋敷間で渡河し、駒立こまだて茂右もえ門新田もんしんでん南善寺なんぜんじの字沓掛くつかけ柳久保やなぎくぼ斑尾まだらお山山麓を登り、同左岸通り多古たこ(現長野市三才付近)原初沼辺ぬのへ(現新潟県中頸城郡妙高村付近)を経て越後の北陸道に至る古道と結ばれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報