日本歴史地名大系 「北見道路」の解説
北見道路
きたみどうろ
旭川から上川・
明治一八年夏、参議伊藤博文によって北海道視察に派遣された太政官大書記官金子堅太郎は帰京後「北海道三県巡視復命書」を提出し、その意見が採用されて翌一九年には三県分置が廃止されて北海道庁が設置された。以後北海道は内国植民地として新興資本の積極的な導入のもとに開拓が進められることになったが、金子の復命書はそのためには活発な物資流通が必要として札幌から根室へ至る縦貫道路開削の不可欠さを述べていた。その際に特徴的だったことは、彼が困難な道路開削には安価な囚人労働の採用を積極的にすすめ、そのことによる囚人の生命の消耗さえ奨励していたことである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報