北見道路(読み)きたみどうろ

日本歴史地名大系 「北見道路」の解説

北見道路
きたみどうろ

旭川から上川遠軽えんがる・北見を経て網走に至る延長二二五キロの北海道の幹線道路。明治二三―二四年(一八九〇―九一)に釧路監獄署網走分監(現網走市)および空知監獄署(現三笠市)の受刑者たちの大きな犠牲によって開削された。「中央道路」ともよばれるが、その名称は本来は札幌から根室までの北海道の縦貫道路を意味していたのに、その一部である北見道路の工事が過酷な条件下に進められ、囚人労働に対する大きな社会的反省を招いた記憶からこの道路の別称として定着したようである。

明治一八年夏、参議伊藤博文によって北海道視察に派遣された太政官大書記官金子堅太郎は帰京後「北海道三県巡視復命書」を提出し、その意見が採用されて翌一九年には三県分置が廃止されて北海道庁が設置された。以後北海道は内国植民地として新興資本の積極的な導入のもとに開拓が進められることになったが、金子の復命書はそのためには活発な物資流通が必要として札幌から根室へ至る縦貫道路開削の不可欠さを述べていた。その際に特徴的だったことは、彼が困難な道路開削には安価な囚人労働の採用を積極的にすすめ、そのことによる囚人の生命の消耗さえ奨励していたことである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の北見道路の言及

【囚人労働】より

…また過酷な労働条件のなかで死亡した者も多く,三池炭鉱では毎年数十人の囚人坑夫が〈よろけ〉と呼ばれる職業病で死亡したといわれる。また91年に起工された北見道路の開削工事では,昼夜兼行の苦役の末,1115人の囚人労働者のうち186人の病死者を出した。このような悲惨な状態のなかで,囚人による暴動も相次いだ。…

※「北見道路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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