北高野村
きたこうやむら
[現在地名]猪苗代町千代田
南流する小黒川を挟んで谷地村の東に位置し、川西組に属した。「きたごや」ともいう。古くは当地に木地師が住し、北小屋とよんでいたと伝える。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では猪苗代郡のうちに北紺屋とみえ、高三四〇石余。「新編会津風土記」によると家数一六。近世には荏油の産地で、当村肝煎秋山家が油絞を行い、現在も油地の地名が残されている。用水は村を貫流する梨の木堀を利用し、ほかに土田堰・上山下堰からも田地に水を引いた(「猪苗代郷土誌稿」「猪苗代町史」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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